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核兵器使用の現在ありうる5つの方途

「ガーディアン」紙 (2015.08.6)

広島原爆投下から70年核戦争の危険は大幅に縮小したが、完全には解消していない。

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 1945年8月6日、最初の原子爆弾が広島の上空で炸裂した。3日後、今度は長崎にその順番がまわってきた。それはこうした攻撃の最後のものであった。そのほかの核兵器は、冷戦期のキューバ・ミサイル危機など危機一髪の最悪の諸事件にもかかわらず、実験の枠外ではまったく使用されてこなかった。いま70年を経過して、核兵器の使用は再び起こりうるのか。以下は、現在ありうるかもしれない核兵器使用の5つのシナリオである。

 大国間核戦争


 冷戦期を通して、最も可能性のありそうなシナリオはそれぞれ数千発超の核兵器を保有していた米国とソ連の2国間紛争のように思われた。やがて他の3ヵ国が「核クラブ」に加入し、相対的に大型かつグローバルな射程の精巧な兵器を開発した。今日では、米ロ英仏中が核戦争を始めるであろうとする考えは、以前よりも相当現実離れしているように見られている。

 しかし、それはまったく現実離れした話ではない。米国とロシアは依然としてそれぞれ数千発の核兵器を保有しており、他の核兵器国3ヵ国もそれぞれ数百発保有している。地域的問題、例えばウクライナの戦闘をめぐる緊張はより大きな紛争に発展する脅威を常にはらんでいる。戦争戦略家たちはこうした可能性を「エスカレーション」と呼んでいる。そこでは、一方の側がおそらく無意識に相手側をわずかにせよより大きな反応へと押しやる、するとそれがもう一つの新たな反応を引き起こす、そしてそれがまた――というサイクルの進行を経て、いっそう悪い反応として本格的な核交戦を引き起こし、数百万の人々を殺害する事態に発展しかねない。

 これらの核兵器国がいずれもそうした事態の発生を願望しているわけではない。相互に抹殺し合うことは彼らの利益にならない。そして、彼らの軍備はいずれも十分に精巧であって、いかなる国も報復を恐れることなく抜き打ち攻撃を仕掛けてうまく行くなどと考えることはできない。時折り手厳しいレトリックを使うことがあるにしても、彼らはそうした事態を回避するよう気遣っている。それでもなお、そうした核兵器使用は発生するのであろうか。ありえないことではない。しかし、緊張が極度に高まっていた1960年代もしくは80年代に比べれば、核兵器使用は今日、おそらくそれほど起こりそうにないであろう。

 中小国の核戦争

 その他の核兵器国についてはどうか。核軍備がより小規模で、グローバルな射程を持たない国々である。インド、パキスタン、イスラエル、そして北朝鮮がこの部類に入るであろう。

 これらの諸国の中の2ヵ国が戦争することはありうるだろうか。長い間、専門家たちを夜も眠らずに考えさせたシナリオはインドとパキスタン間の「核交戦」である。これら両国の距離の近さ、比較可能な核軍備、そして見解不一致の長い歴史は彼らの情勢をとくに危険にしているように見える。注目すべきは両国が異なる核ドクトリンを持っていることである。すなわち、一方のインドは大きな通常戦力をもつ陸軍を擁しており、最初に核兵器を使用する国にはならないと宣言してきた。他方、パキスタンは、圧倒的な通常戦力攻撃の発生した場合、核攻撃に移行するのに十分な脅威にさらされていると感じるかもしれない。こうした両国の「不均等視点」は双方の核問題専門の輩を不安に陥れている。なぜなら、それは双方が異なった「レッドライン」を有しており、互いに相手が正確にはどこでその線を引いているかを知らない恐れがあるからだ。

 多くの専門家にとって、中小核兵器国にかかわる何らかの事案こそがこうした有意な核交戦のリストに載せられた最も現実に起こりそうなシナリオなのかもしれない。この地域に生活していない者がそんなことは心配しないでよいと考えないように、科学者たちは、わずか数百の核兵器の相対的に「小規模な」交戦すらも、問題の地域の住民数百万人を殺害するほか、穀物生産高の深刻な減少などを引き起こす地球規模の気候変動をもたらすかもしれないと結論づけるモデルを提起してきた。

 核兵器国対非核兵器国

 核兵器国が小国であろうと大国であろうと、こうした兵器を非核兵器国に対して使用することはありうるだろうか。それはありえないことではない。核兵器が戦争において使用されたこれまで唯一の事例では、ごく少数の核兵器しか持っていなかった一つの核兵器国(米国)が一つの非核兵器国(日本)に対して核兵器を使用していた。核兵器大国の観点から見た場合、今日、大規模な通常軍備を持っている国が核兵器を使用に値すると考えることはありそうにない。

 しかし、中小規模の軍を有する、より脆弱な諸国についてはどうか。国名をあげて言うならイスラエルと近隣諸国の間の戦争について、あるいは南朝鮮に対する北朝鮮の戦争について、心配する向きがあるのではないか。ここでは扱いにくい問題があって、これらの諸国については、非核兵器国が核兵器国に対してどこで線引きをしたらよいかわからないかもしれない。この場合においても、そうした種類の「不均等視点」が誤解を生じさせる可能性を高めているかもしれない。

 核テロリズム

 1960年代末以降、人々はなんらかのテロリスト(非国家行為者)集団が核兵器を取得するかもしれない可能性を心配するようになった。1国内で爆弾用核燃料(濃縮ウランもしくは分離プルトニウム)を生産する能力は、年来、関連する技術的要件が低下してきたものの、なお依然として国家的規模の存在に限定されている。しかし、いまのところ、テロリスト集団の場合、重要な資源を保有するものを含めて、関連燃料を自力で生産するのに必要な技術的および産業的な専門能力を集めることはできそうにない。

 テロリスト集団が核燃料を盗むことはできないか。潜在的にはできるかもしれない。ソ連の崩壊以降、多年にわたり、ロシアの爆弾級ウランとプルトニウムが盗難にあったり転換されることがあるかもしれないという懸念がささやかれた。こうしたことが実際に発生した具体的な兆候はない。しかし、この時期の記録の採り様は非常に劣悪であって、そうしたことが実際にあったかどうかを確言できる人がいるかどうかは判然としない。今日の状況は相当改善されているが、こうした物質を生産しかつ貯蔵する施設の物理的保全措置はしばしば不十分なままである。例えば2012年においても、ある平和活動家集団(82歳の尼僧を含む)が米国の「フォートノックス」濃縮ウラン施設に侵入する事件を起こしていた。

 ある国が兵器級核燃料もしくは兵器そのものをテロ集団に与えることはあるだろうか。これはずいぶん物騒な話であるが、通常あまり起こりそうにない事態と見られている。テロリストによる核爆発事件が発生した場合、科学者たちはその爆弾の核燃料の起源を特定できるようである。核燃料生産のプラントはそれぞれの製品にわずかながら差異があって、そうした差異が爆発の後においても探知可能とされている。

 テロリスト集団が核兵器を丸ごと盗むことはありうるであろうか。今日、核兵器の多くは適正な電子コードを持たない人による使用や書き換えを防止する精緻な電子ロックを装備されている。理論的にいえば、銀行破りが見事に実行されえたとしても、こうした種類の対抗措置が盗まれた核兵器の使用を非常に難しくしているであろう。

 偶発的核爆発

 核兵器国によって創造された核兵器が偶然に爆発することはあるだろうか。1950年代から60年代にかけて、米国は、航空機といっしょに墜落した爆弾や、航空機からたまたま落下した爆弾、長時間着火されていた爆弾など、核兵器をめぐる数十件の「ニアミス」を経験した。

こうした事例は結果的に重大な核エネルギーの放出につながりえただろうか。より古い世代の兵器については、我々がいま考えたがっているほど可能性が低くはなかったようである(エリク・シュロッサーの『コマンド・アンド・コントロール』はこの点に関する衝撃的な読み物である)。これら核爆弾の多くは、長期的な安全確保を主たる考慮事項として設計されていなかった。その後の世代の核弾頭は核爆発を発生させる事故の可能性が非常に希有となるように建造された。しかし我々は、大多数の国の核兵器の設計についてほとんど承知していないし、米国がかつてより旧式な設計の中で安全性に気配りした以上に、それらの設計について優先的に安全性に配慮しているかどうかもつまびらかでない。
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 これらのシナリオを読み通した全般的な印象として、核兵器がいま一度、都市に対して使用される可能性はいかがなものであろうか。もし我々が核兵器のある世界に生活するならば、「それ」が再び現実に起きるリスクは常にゼロより大きいであろう。この懸念される不確実性は核時代の真実の一つであって、それを回避する安易な道はない。核兵器を全面廃棄する試みすらも、こうした恐れをすべて解消しはしないかもしれない。なぜなら、結局のところ、ある国が万一の場合に備えて、ごく少量の核燃料を隠し持っているかもしれない可能性が常にあるからである。

 核戦争の脅威は、この数十年間、人類に対する実存的脅威であり続けた。今日、それは、人工の気候変動の脅威によって王座を奪われてしまったかもしれない。しかし、核をめぐる不確実性は依然として高止まりしており、1万を超える核兵器をもつ世界について、誰しも、状況はかつてほど悪くないにせよ、あまり快適には感じていないはずである。核戦争は、世界の心配事一覧表のトップにはもはや置かれていないが、しかしその一覧表にいまなお依然として載せられている。

 編注:この論文の筆者、原題と副題、掲載紙などは以下の通りである。Alex Wellerstein,“Five ways that nuclear weapons could still be used; Seventy years on from the bombing of Hiroshima,the danger of nuclear war has reduced greatly-but not completely,” The Guardian, Thursday, August 6,2015.