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国民への原子力空母の危険を拡大する、
 米軍優先の主権放棄外交
新原 昭治(国際問題研究者、常任世話人)

 10月8日、横浜市で開かれた「ストップ原子力空母!首都圏シンポジウム」で、報告者の一人、新原昭治さん(国際問題研究者・非核政府の会常任世話人)は、▽原子力空母配備問題を米戦略との関連でどう見るか▽米原子力艦船の放射能汚染を隠蔽する日米密約問題の2点について発言しました。このうち、解禁文書の3つの実例にそくして放射能汚染の隠蔽問題を解明した部分(要旨)を次に紹介します。

米軍用原子炉を自由放任
 法律では、原子力で動く外国の船が日本の港湾に入るときは、60日前に書類を提出してもらい、日本政府が安全性などを調査して許可・不許可を通知することになっています。ところがアメリカの軍艦についてはこの対象から外し無審査で入港できる。つまり日本政府は、米原子力空母について、安全性に対するチェック機能を最初から放棄してしまっているのです。

 この関連で第一に紹介したいのは、1971年に日米両政府の間で交わされた秘密の口頭了解です。

 米原子力軍艦が日本に寄港するとき、日本側はモニタリング(監視)態勢をとり、陸上と海上で、空気、水、海底の泥のサンプルを採取します。ところが、それまで空気中の放射能調査のサンプルをとるときに原子力艦から20メートル以内に近づいてはだめだとなっていたのを、アメリカが「50メートル以上離れて行うよう」にと申し入れてきたのです。その結果、日本は71年末に、50メートル以内で空気中の調査をやらないとひそかに約束しました。

 私が入手した秘密了解文書では、米側の秘密区分は「CONFIDENTIAL」、日本で言えば「秘」で、最も軽いものですが、その横に押してある日本の外務省の日本語の判子は「極秘 無期限」。アメリカより一段と厳しい秘密指定です。

 この密約を交わすのに23ヵ月間も交渉を続けたと解禁文書に書かれています。なぜか。この密約がばれたとき、日本政府が主権を放棄したと受け取られないような文言にできないかと、日本外務省が執拗に案文を練ったというのです。結局、50メートル以内ではやらないが、どうしても必要なときは日本政府は「50メートル以内でモニタリングを行う権利を留保する」と書き、そのあとに、しかし「そのような必要が起きることは予想されない」と書きこみました。日本政府は主権的権利の放棄に同意していないかのような文面を作りつつ、米側の要求に唯々諾々と従ったのです。つまり、日本の領海内、港湾内で放射能汚染を調べる監視行動という主権行為さえ、日本は自由に行えなくなっているのです。

米ファクトシートの矛盾
 監視態勢に関する2番目の問題は、日本の港の中で米原子力艦船が、放射能を含んだ冷却水を捨てる可能性があることを日米両政府が容認していることです。

 放射能汚染が最初に疑われたのは1968年5月、佐世保で原潜ソードフィッシュから異常が発見されたときです。それをめぐる米政府の態度を解禁文書で見ると、絶対に原潜が原因ではないと言い張る。当時の日本の原子力委員会は憤慨して、原潜に疑惑を投げかけました。そして、“アメリカがそこまで言うなら、今後日本の港の中で放射能を含んだ冷却水をいっさい捨てないという約束を取り付けろ”と、政府に要求するのです。

 当時、三木外務大臣でしたが、世論もあるし、原子力委員会もそこまで言うものですから、アメリカと5ヵ月もかけて交渉した。ところがアメリカは、“日本の港湾のなかで冷却水をいっさい捨てないという約束はできない、例外的に放出しなければいけないときもある”と言って頑張る。

 結局、10月22日の三木・ジョンソン「会談覚書」で冷却水の「例外的」放出はありうるという内容で決着しました。公表直前にジョンソン大使が三木外務大臣に会って話した模様が、ジョンソン大使のワシントン宛て報告(解禁文書)に載っています。三木外務大臣はこの結末に不安を持っていたので、“原子力艦船が日本の港の中で冷却水を捨てたときは、捨てたと知らせてくれ。そうすれば国民も安心するだろう”と述べたそうです。

 これに対しジョンソン大使は“そんなことはこれまでの交渉で一度も出なかったではないか。もし日本がそんな提案をしたらワシントンはノーと言うに決まっている”と答えています。その日発表された「会談覚書」には、米原子力艦船が日本の港の中で「例外的に」冷却水を放出することがあると明記されています。

 ところが、米政府の原子力空母配備のための「合衆国原子力軍艦の安全性に関するファクトシート」は、日本の12海里内では冷却水放出を禁じているかのように書いています。

 この食い違いに新聞・テレビが注目して外務省にただしましたが、「例外」的な放出はありうる、ただしそれがどんな場合かは言えないと答えています。ですから、「ファクトシート」の「安全」宣言はたいへん疑わしいものなのです。


日本の国会答弁を変えさせた米大使館
 最後に、3つ目の実例について述べます。

 沖縄の1972年の本土復帰直後、那覇軍港とホワイトビーチ軍港で行った日本政府の放射能調査で、コバルト60がかなり検出されました。コバルト60というのは普通、核実験の死の灰や、原子力艦船から出ると考えられています。

 74年2月25日の参院決算委員会で日本共産党の加藤進議員がこの問題を取り上げて質問しました。すると当時の科学技術庁原子力局次長の伊原義徳さんが、「分析の結果、コバルト60を含む試料が相当数判明した」と認めました。加藤さんがその原因を聞いたところ、伊原次長は、「一部は放射性降下物によるもの、一部は鉄に含まれるものの可能性があるが、ある程度は原子力潜水艦からのものと推定される」と答えました。翌日の新聞は、政府が初めて核艦船の放射能汚染を認めたと大きく報じました。

 今回、アメリカの解禁文書=27日付の米大使館発・国務長官宛て緊急電報で、この伊原答弁に始まる4日間の舞台裏のドラマが分かりました。緊急電報はこう言っています。

 「2月26日朝、米大使館参事官は、外務省安保課長に、この国会答弁に仰天していると伝え、伊原答弁についての説明を要求するとともに、今後このような言明が繰り返されないよう求めた。外務省は科学技術庁の伊原次長らに会い…伊原は国会で間違ってしゃべったもので軽率だったと認め、申し訳ないとのべた」。

 国会議事録で調べてみると、28日の衆院科学技術特別対策委員会で伊原さんは、誤解を与えて申し訳ないと詫び、“結論として、原因についてはまったく不明であると言わざるをえない”と答弁しています。

 つまりアメリカは、日本政府が放射能汚染を認めた途端、日本の国会答弁まで変えさせたのです。「日米同盟」などと言いますが、それはけっして対等ではなく、日本は従属状態そのものだということがはっきりと見えてきます。

 この件では、次の笑い話のようなやりとりもありました。ワシントン宛ての緊急電報で米大使館は、“日本外務省にたいし、コバルト60は自然界に存在するということも付け加えるよう言った。日本の外務省当局者は理解を示し、そうすると答えた”報告されています。1週間後のキッシンジャー米国務長官名の東京の大使館宛て電報は、伊原答弁への対応をほぼよいとしながらも、“コバルト60は自然界に存在しない”と注意しています。情けない話ですが、間違った指摘にもハイと言って従う、これが日米関係の現実です。

 ですから、原子力艦船の「安全」問題というのは、アメリカ政府が「安全」だと言っているだけで、日本政府は安全性を調査する責任さえ放棄している、これが実情だということを、重ねて強調しておきたいと思います。