核2015年NPT会議へ、期待高まる市民社会の運動の大きなうねり
― 2015年NPT第2回準備委員会に被爆国の国民の心を届けて(13.5.15) |
| 高草木博・日本原水協団表団長に聞く |
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4月22日から5月日までスイスのジュネーブで2015年核不拡散条約(NPT)再検討会議のための第2回準備委員会が開かれ、日本原水協から17人の代表が被団協代表とともに現地で活動しました。
2010年核不拡散条約(NPT)再検討会議は、「核兵器のない世界の平和と安全を達成する」ことを核保有5ヵ国を含めて全会一致で合意し、核兵器国は自国の核兵器の完全廃絶を再確認しました。また、日本も含めてすべてのNPT締約国が核兵器のない世界をつくり維持する枠組をつくるために特別の努力を行う、そのためには潘基文・国連事務総長の「5項目提案」を考慮に入れることなどを約束しました。合意したわけですから、世界中のたくさんのNGOや政府はそれを実行に移すべきだという気持ちを強く持っています。今回、私たち代表団がジュネーブに行った目的は、ひとことで言って、被爆国としてのそうした国民の気持ちを集約して第2回準備委員会に伝えることでした。
■署名275万筆余を提出
そのために、昨年の第1回準備委員会に続き今回も、「核兵器全面禁止のアピール」署名を全国から集めて目録にして持って行きました。署名数は275万1031筆。去年提出分の二倍を超える数です。
幸いなことに、準備委員会のフェルタ議長(ルーマニア外務省の事務総長)と国連上級代表のアンゲラ・ケインさんが、時間をとって私たち代表団全員を迎えて署名を受け取ってくれました。フェルタ議長は、「被爆者の体験、被爆国の声を聞くことは重要。出席している各国政府の代表にしっかりと伝えたい」と述べて、核兵器禁止条約の交渉開始を求める要請を会議に報告することを約束してくれました。
アンゲラ・ケインさんの話はとても印象的でした。彼女は、「潘基文事務総長自身に言われて自分も去年、原水爆禁止世界大会に初めて行き、とても感銘日差しの中で署名を集める若者の姿に感動した」と言い、「市民社会のみなさんの気持ちは必ず国際政治を動かします」と言ってくれました。それは代表団へのとても大きな激励になりましたね。
■メインロビーで原爆展
原爆展も昨年のウィーンに続いて、今度はジュネーブの欧州本部での開催を二つ返事で了承してくれて、大会議場前のメインロビーに写真パネルを展示することができました。オープニングの時にはNGOや政府の関係者も参加し、スイス政府の代表は記念のスピーチをしてくれました。原爆展はジュネーブ大学でも開催しましたが、どちらも大きな反響がありましたね。
代表団の目的は、署名でも原爆展でも大いに果たせたと思います。
■米「3本柱」を方便に
今回、現地で私たちが意見交換した代表団は19ヵ国にのぼります。それで手一杯で、会議の様子をなかなかフォローしきれなかったんですが、感じたことを言うと、一つは、全体の流れとして2010年に合意した「核兵器のない世界を達成する」という姿勢が、核保有国の側に見られなかったことです。もちろん合意を撤回したわけではありませんが、次の再検討会議を二年後に控えて、ベストを尽くそうとしているかというとそうではない。後退しているんじゃないかと思う点もありました。
その一つは、NPTの持つ弱点にかかわりますが、たとえば「不拡散」の義務では、いわゆる「非核兵器国」の側に核兵器開発の疑惑が起これば、たとえばアメリカなどは直ちに行動を起こし、安保理による制裁や、場合によっては軍事的威嚇まで行います。他方、核軍縮・廃絶に関しては期限の問題でも、方法の問題でも、なにも決断しようとしない。
今回も、アメリカの代表が初日に読み上げたケリー国務長官のメッセージには、「核兵器のない世界の平和と安全の達成」を「究極的目標」とする、いわゆる「究極」論がまたぞろ復活していました。また、「NPTは、核軍縮、核不拡散、核エネルギーの平和利用の3本柱をバランスを取って履行することが大事」と言って、実際上、ありとあらゆる材料を挙げて、核兵器の廃絶を棚上げするという態度も顕著です。
それはオバマ大統領のプラハ演説ーー世界に核兵器がある限り、我々は強力にして効果的な抑止力を維持するーー自体が持っていた弱点だったわけですが、その弱点が今、ストレートに出ているのだと思います。
実際、個別にアメリカの代表と話をすると、去年のオバマ大統領特使のスーザン・バークさんはそんな乱暴なことは言わなかった。「いっぺんにそこ(核兵器禁止条約)にジャンプできない。そこまでの信頼関係が国際社会につくられていない」、アメリカは「ステップ・バイ・ステップで行く」と言うんですが、でも少なくともアメリカだけが核を永遠に持ち続けるということでは世界に通用しないという思いは感じたんです。しかし今年はアメリカ代表の話を聞いていて、核兵器のない世界の実現にリーダーシップを発揮しようという熱意は感じなかったですね。
■核兵器国をどう動かすか
なぜそんなことを言うかというと、たぶん大多数の参加国も総じてそういうことをすごく感じていたに違いないと思うからです。今回の準備委員会では、動かない核兵器国をどう動かすかということがみんなの頭のなかにあったんです。
その中ではっきり出てきたのが、人道的アプローチです。これは、核兵器の使用は人類に破局的結果をもたらすものだから、すべての国が人道法を守り、廃絶に努力しなければならないというものです。2010年NPT合意の「原則と目的」にも入っているんですが、もともと反核平和運動の原点でもあります。1985年の「ヒロシマ・ナガサキからのアピール」がそうでした。核保有国が自分たちの核を「安全の保証」とか「抑止力」などと言い張る中で、「ヒロシマ・ナガサキからのアピール」は核兵器の使用が人類の生存と文明を破壊するものであり、「不法かつ道義にそむくものであり、人類社会に対する犯罪」であるとして、全面禁止・廃絶を要求しました。1996年7月の国際司法裁判所の勧告的意見も同じアプローチをとりました。
今回のアプローチは、それを国際政治の原則に据えたというのが新味だと思います。スイスなど、このアプローチを提起している政府はそれを意識しています。「国際政治はこれまで核兵器の問題を家安全保障の問題として扱ってきた、しかしこの問題は本来、世界の安全保障の問題だ、つまり人類の安全保障の問題ではないか」ということですね。つまり核保有国側も抵抗できない論理として押し出したわけです。
■さまざまな意見が
このアプローチを核兵器の廃絶にどう生かしていくかについては、さまざまな意見がありました。たとえば、今回共同声明を発表した南アフリカのミンティ大使は私たちとの話し合いでも、「核兵器禁止条約がなければ核兵器の廃絶ができないというわけではない」とまで言い切っています。「条約がなくても、人道法に照らして核兵器の使用は違法であり、核兵器は正当化されえない。なくすことはできるし、現に南アフリカはそういう決断をやった」ともいっていました。
別の論立てもあります。「核兵器の禁止を言っても現状では核保有国は乗ってこない。ただ2010年会議で核兵器をなくすことを決めたわけだから、そこから先、核保有国をどういうふうに乗せるかを考えなくてはいけない。どう言えば一番抵抗できないのか、という角度から我々はみている」と言う国もあります。
核兵器条約の交渉開始を主張し続けているマレーシアの大使は、別の角度からこの人道的アプローチを支持しています。「この人道的アプローチは、それがどういう次のステップに発展していくのかということで一致しているものではない」と言っていました。ジュネーブでもかなり議論しましたが、「非同盟が描いているのは、明確に核兵器をなくすまでのプログラムだ。2025年までに具体的にどういう手立てでどういう条約を作るかというビジョンもしっかりしている。同時にそのプログラムを実際に推し進める“勢い”をどうつくるかという問題がある。その両方を2015年の前に考えないといけない」といったことでは、一致していました。
そしてそれをやるには「やっぱり世界世論の大きなうねりができないかぎり、いまの政治は動かない」というのですね。この点は、非常に面白いことですが、核兵器の廃絶にもっと保守的な政府の外交官でも、「この段階で、実際に我々の心の内にあるのは、市民社会がどうやったら立ち上がってくれるかということだけだ」と言っていたのが印象的でした。
■市民社会の立ち上がりを
結論的に言って、人道的アプローチは国際政治の中で核保有国も同盟国も反対しにくいアプローチですが、そのことで本当に立ち上がるべきは、やはり市民社会、大衆運動なのではないかということです。世界の平和運動はこのことに気づく必要があるし、今年の原水爆禁止世界大会は、そのことがすごく大事になると思います。
もう少し言うと、日本の運動がやれることは、ヒロシマ・ナガサキの実態を世界の人々や次の世代に徹底して知らせる以外にないと思うのです。ただ、それは運動だけがやることではない。政治はもちろん文化とか教育とかメディアとかの一つ一つのところまできちんと提起すべきじゃないかと思います。そういう大きな流れというものを、我々自身が受けて立っていかないと、事態は変わらないで終わってしまう。
もちろん「核兵器のない世界」というのは核兵器の全面禁止を合意しなければできないし、それしか道はないと思います。それを達成するために大きな動きをつくるというのが人道的アプローチで、原爆を体験した日本の運動はそれを具体化し、社会の諸分野にも世界にも広げていかなければいけない。それが、今回の大きな教訓ですね。
■問われる日本の核政策
日本政府は今回、80ヵ国が連名で提案した「核兵器の人道的影響に関する共同声明」への賛同を拒否して世界を驚かせました。拒否した理由は、「いかなる状況下でも核兵器が二度と使われないことは人類生存の利益」という文面から「いかなる状況下でも」を削れという要求が聞き入れられなかったからだと言っています。
私たちは今回、出発前に外務省で若林政務官にお会いし、また、会議開会の翌日に、天野万利大使とも会って、賛同するよう求めました。天野大使は、「個人としては今度の提案は、賛同できないというわけのものでもない」みたいな言い方をしていました。私たちは、「そもそも核兵器の使用は、日本が異論を唱えたり議論するような問題じゃない、日本が最初に主張してもいいはずの問題だ、現地でNGOや各国政府の反応からもそれは感じられるでしょう」と詰めました。代表部でも頷いて聞いてくれる人もいました。やっぱり矛盾を感じているんだなとわかりました。
天野さんの言い分は、「世界のなかで東アジアだけはまだ冷戦構造が残っている。そのなかで我々が考えなければいけないのは、北朝鮮や中国が核兵器をもっている中で、我々政府というのは国の安全を守らなくちゃいけない。だから我々は文章だけではなくて行間も検討しているんです」というものです。ただ、「主旨には反対ではないのだから、今回は加われないでも理解はできるくらいのことは言ってもいいと思う」とも言っていました。私たちはもちろん、無条件に加わるべきだとあらためて言っておきました。
第2回準備委員会での状況はここまでですが、ただ、私たちとして、この問題を「共同声明」の文言の問題で終わらせてはならないと感じています。
昨年秋の国連審議では、日本政府は、核兵器の「非合法化の努力」、つまり核兵器禁止の努力に賛成できないので、共同声明に加わりませんでした。
今回の場合には、「核兵器の非合法化」という文言は最初から原案に入っていませんでした。そうしたら今度は、核兵器の使用の問題で、「いかなる状況下でも」を外せと主張したわけです。なぜか? もともと「核の傘」論というのは防衛的な議論を装っていますが、その確信には最初から「必要な場合には核使用も求める」という姿勢が牢固として組み込まれています。核兵器の使用は、核抑止政策の核心部分で、それがあるから抑止力論が成り立つということです。
結局天野大使は、今度の準備委員会でも「今後、参加していく可能性を真剣に探る」と述べたわけですから、「この次は加わってください」という期待があっていいとは思いますが、日本の運動がそのレベルでとどまっていたのではしょうがない。本当に人道的アプローチで日本政府が積極的役割を果たすにはどうしても日本の安全保障政策そのものを見直して、「核の傘」からの離脱を図るべきです。このことを、今回、あらためて痛感しましたね。
■世界大会でメッセージを
核兵器廃絶に向けていま、人類がそういう岐路に立っているという認識は、世界的にすごく広がっていると思います。2010年NPT会議では、あれこれの詰めに問題があっても核兵器のない世界を達成することが合意となりました。それは、イラク攻撃やブッシュ前政権の核使用政策、それに対する北朝鮮の核開発など、それまで十年間の核兵器廃絶への逆行に対する世界諸国民の運動がもたらした前進でもありました。
その到達を2015年や2020年の再検討会議でもただ漫然とくりかえしていれば言い訳ではありません。原発事故と同様、核兵器も、意図的であれ偶発的であれ、使われる危険は現実のものです。
潘基文・国連事務総長は広島で、被爆75年には核兵器の終わりを被爆者とともに祝おう被ばくと呼びかけました。我々は緩めずに目標にすべきだと思います。そこでは、本当に日本の運動が役割を果たしていかなければならない。
幸いなことに今、非同盟も新アジェンダ連合も、それから人道的アプローチに加わっている国々も、そういう問題意識は鮮明です。潘基文さんも核兵器廃絶にすごく本気です。2010年5月、ニューヨークでの平和運動の会議に来られたときも、に広島にきたときも、翌年のソウル核保全サミットでも、去年の国連総会の開会挨拶でも、またその直前の非同盟会議でも、彼は「核兵器を廃絶すべき」という主張をまったく落としていません。
私たちとしても今年の原水爆禁止世界大会にむけて、あらためてこうした努力にも応え、その目標は世界の諸国民の行動を通じて達成されるべきもので、国際政治と我々市民社会とが協力してはじめて達成されるのだということを、明確にして臨みたいと思っています。
広島・長崎の惨禍を経験して68年になります。人類は、被爆者が生きているうちに核による絶滅の恐怖を一掃すべきです。そういう強力なメッセージを、世界大会で出さないといけないと考えています。「やろうと決めたことはやろう」という勢力が多数であることは間違いないですからね。
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