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 ●国連・世界の動き
 
ビキニ水爆の被災の拡がりを証明
山下正寿さん(高知県太平洋核実験被災支援センター事務局長)に聞く
(聞き手)長谷川千秋・元朝日新聞大阪本社編集局長 



 ――間もなく、ビキニ水爆実験で日本のマグロ漁船の乗組員らが被ばくして57周年の3・1ビキニデーを迎えます。山下さんは、“ビキニ事件の被災者は第五福竜丸だけではない”と、25年も真相を追究してきて、昨秋にはDVD『2010 わしも死の海におった』を、松山の南海放送と協力して出されました。今その普及活動をされていますが、DVD作製のいきさつ、ねらいをお話しいただけますか。
 
山下正寿 今回のDVDの元になっているのは、7年前に、南海放送の伊東英朗ディレクターから取材の要請があって、室戸(むろと)市や宿毛(すくも)市幡多(はた)地域の被災者、マグロ漁船第二幸成丸の乗組員を訪ね歩くという形で収録した映像です。私がなぜ長年追跡するのかということをまじえて編集したものが放映され、2004年「地方の時代映像祭」のグランプリを受賞しています。だけど、放送されたのが夜中で、しかも南海放送だけの放映だったので、ぜひみんなが見られるようにとDVDにしてもらったんです。

 
死の灰分布地図が示すもの

 
――DVDでは、最近明らかになったアメリカ旧原子力委員会の機密文書の話が出てきます。1954年にアメリカがビキニ環礁で行なった6回の水爆実験による放射性降下物=死の灰が、世界的規模で確認されたという調査報告書です。この文書を入手したいきさつ、それの持つ意味をお聞きしたいのですが、降灰の地図は今回初めて入手したものですか。
 山下 そうです。南海放送の伊東さんが、原文を見つけました。以前から、アメリカ原子力委員会の資料があることは聞いていましたが、放射性降下物の分布地図や記録はなかったのです。
 内容を見てまずびっくりしたのは、アメリカが核実験の1年前にすでに世界に122ヵ所も観測所を設置していたことです。日本にも三沢、嘉手納、立川、北硫黄島の各米軍基地、それに広島、長崎のABCC(原爆障害調査委員会)の中に設置していました。もう1つは、実験から2ヵ月ぐらい、1日いちにちの放射性降下物の広がりを克明に記録していることです。

 


 
――それは何を意味するのでしょうか。
 
山下 できるだけ正確に放射性降下物の流れを見ようとしています。それは、いつ実験をすればアメリカへの放射能の影響が少ないかを知るためだったと考えられます。今回の分布地図をみると、死の灰はマグロ漁船の操業区域を中心に東西に大きく広がり、わずか1週間でアメリカ本土に到達しています。文書は結論として、「人が住んでいる地域への死の灰を減らすには冬に太平洋で実験すること」などと書いていますが、まったくアメリカの身勝手としか思えません。
 水爆の灰は赤道上のビキニ周辺にだいたい3分の1ぐらいが降って、その海域で操業していた第五福竜丸や第五海福丸などにかぶってきたんです。最後の「ヤンキー」という実験のときは梅雨時の気流の関係で日本にも灰が運ばれてきました。放射能が記録されて大騒ぎになりました。
 私は、今度の資料はマグロ漁のどの船がどこでどれぐらいの灰を浴びたかを示すものであり、私たちが長年調べてきた乗組員たちの証言を裏付ける、貴重な資料だと思っています。

 
“ビキニ被災者はたくさんいる”

 
――“第五福竜丸以外にもビキニ水爆の被災船がある”と漁船と乗組員を追跡し始めたのは、1985年に山下さんたちが地元の「幡多ゼミナール」で取り組んだのが始まりだったわけですが、きっかけはなんだったのですか。
 
山下 幡多ゼミというのは、高校生が自分の地元の現代史を調査する活動です。それで1985年に、被爆40周年だから地域にいる広島、長崎の被爆者の問題を調査しようということになったんです。
 宿毛に被爆者のおばあちゃんがいるというので訪ねると、“うちの息子は長崎で被爆して、ビキニでも被爆して、病気になって、それを苦にして自殺した”という話がポツっと出てきたんです。私たちは当時、ビキニといえば第五福竜丸のことという頭がありましたから、いったいどういうことなのかと聞きました。それで息子さんがビキニ事件当時、第五福竜丸とは別のマグロ船に乗ってその近辺で操業していたことがわかったんです。そこから調査が始まりました。
 幡多ゼミの高校生は、毎週のように幡多郡の漁村を訪ねました。生徒が行って初めての聞き取りをすると、水爆の光を見た船員や、マグロを捨てられた人が、どこの港にもいました。それで頭を切り換えたんです、ビキニで被災した船、乗組員はたくさんいたんだと。
 結局、直接聞き取り調査したのは300人ぐらい。被災した船の数は、高知だけで延べ270隻ぐらいになります。

 
廃船からも強い放射能が

 
――DVDには、廃船になったマグロ漁船の船体にガイガーカウンター(放射線測定器)をあてると強く反応するショッキングな場面もあります。あの廃船を発見したいきさつは。
 
山下 あちこち回っているうちに偶然それらしい古い船があったので、確認すると、第五住吉丸という徳島の船でビキニ事件のときに大東島のほうで操業していたことがわかったんです。徳島まで行って乗組員に会いました。聞くと、乗組員11人のうち8人が亡くなっていました。みんながんでした。
 これはひょっとしたらということでガイガーカウンターを持ち込んで調べると、とくに機関室の油がたまったところで強くバリバリと反応しました。300カウント(cpm)も出て、みんな「オオーっ」とびっくりしましたね。あとで東京の理化学研究所で分析してもらったら、やっぱり核爆発でできるストロンチウム90、セシウム137が検出されたんですよ。

 
“病気と認めたくない”

 
――私は原爆症認定集団訴訟の近畿の裁判を7年ぐらい傍聴してきました。その中で一番感じたのは、被爆者がどういう状況下で被爆したのか、その後、どういう人生を送ってきたのか、そういうことまで全部ひっくるめて総合的に判断して原爆症かどうかの結論を出すべきだと、裁判所が指摘したことです。山下さんの調査活動というのは、まさに乗組員一人ひとりの被ばくの実相を追いかけているもので、非常に大事なことだと思っています。でも、被災者から被ばくの実相を聞き出すのは、高校生だけではできない仕事だと思いますね。
  
山下 聞き取りで一番むずかしいのはそれですね。漁民は命がけの仕事をしているから、病気だと思いたくない。だから、他の船員のことを問うと、“あれは死んだ” “あいつもがんだった”と話すんですが、「がんというのはそんなにたくさん出るもんじゃないですよ」と話を投げ返さないと、被ばくの影響によるものだと自覚しない。実際、調べると、がん発生率が通常の200〜300倍も高いんです。また、子どもが結婚前だったりすると、話すのを嫌がる人が多かったですね。

 
生々しい被災の記録「山中日記」

 
――昨日、ビキニで被災したマグロ漁船の船員だった山中武さん(81歳)に引き合わせていただきましたが、山中さんのビキニ被災の生々しい日記のことが昨年暮れ、大きく報じられました。山中さんの日記は幡多ゼミの調査活動を再開させようという流れのなかで出てきたんですか。
 
山下 幡多ゼミは昨年、清水の生徒10人が韓国に行ったんですが、今年は、韓国の高校生が幡多にきます。その交流で何をテーマにしようかという話になったとき、韓国の高校生は釜山(プサン)の被爆者を調べてくるようだから、幡多の高校生もビキニ問題がまだ終わっていないからもう一度調べ直そうという話が出たんですよ。
 それで、高校生は調査発祥の地の宿毛の内外ノ浦というところを訪ねたりしたのですが、私は次の準備のために土佐清水港の山中さんに会いに行ったんです。そのとき、被災当時の山中さんの日記が出てきたんです。びっくりしましたね。当時、そんな日記をつけている漁船員がいるとは思いませんでしたから。
 この「日記」は、1人の漁船員としてマグロ漁業の実態をリアルに記録した、今まで例のないものなんです。そこには、マグロ船同士の無線交信を通して、第五福竜丸が焼津に帰港して放射能汚染が大問題になっていること、そのことがマグロ船の間で話題になりながら操業を続行していたこと、入港前に船体を何度も洗うよう指示されていたことなどが記録されています。

 

 
――山中さんを訪ねたとき、その日記に、ビキニ実験にかかわる記憶だけを抜き書きしたメモが挟み込まれていることがわかり、本当に驚きました。やっぱり特別な思いがあったんでしょうね。
 
山下 どの漁船員に聞いても、「ビキニ事件だけは忘れん」と言いますね。みんなものすごく悔しい思いをしているんです。貧しい家の人が多いですから、苦労して命がけで、4時間ぐらいしか寝ずに獲ったマグロをガイガーカウンターで検査されて、泣きながら捨てさせられたわけですから。しかもその頃は歩合制だったからお金をもらえなかったし、アメリカの保証金も船員にはわたってないですからね。

 
日本政府は過ちを正すとき

 
――最後に、日本政府に対して言いたいことを、ずばりお話しください。
 
山下 政府はまず、この問題の間違った処理、過ちを正さなければいけないと思います。被災者の検査を怠ったこと、操業の危険性を通告・徹底しなかったこと、マグロの検査とその後の漁船員の調査を一方的に打ち切ったこと――これらは日本政府の重大な過失ですから。
 それを正すためには、厚生労働省に被災者救済の窓口を設けること、同時に重要な船がある場合は追跡調査を行なうべきです。今回、アメリカの新しい資料も明らかになったわけですから、因果関係を証明する努力をしてもらいたい。そして、ビキニ被災者にも被爆者援護法を適用する道を開いてもらいたい。素晴らしい憲法を持ちながら、切り捨てられた被爆者がいるということは、世界に恥ずべき現代史の汚点だと思います。
 私たちも、広島、長崎とともに、ビキニから核兵器廃絶につなげていく呼びかけを行なっていきたいと思います。それが全国的に広がって、各地で調査が始まると、被災者救済の道が見えてくると思います。幸い、太平洋沿岸の各県にはビキニ被災者がいますからね。
 
――それをバックアップするためにもDVDをできるだけ多くの人に視聴してもらうことが必要ですし、私たち市民も、その運動を広げなければと思います。
 今日は、時間をとっていただき、ありがとうございました。

   (「非核の政府を求める会ニュース」2011年3月号・4月号連載)