非核政府の会シンポジウム
「被爆75年――核兵器依存政府から禁止・廃絶政府へ」開く(2019.12.14)
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広島・長崎の被爆から75年にあたり、春には核不拡散条約(NPT)再検討会議の開かれる2020年を前に、非核の政府を求める会は12月14日、シンポジウム「被爆75年――核兵器依存政府から禁止・廃絶政府へ」を東京都内で開きました。核兵器禁止条約の発効、核廃絶に向かう世界の流れと展望について考え、冷酷な被爆行政の現状と、国民に秘匿されている在日米軍基地・沖縄の危険な実態を問い、市民と野党の共闘、非核の政府実現の展望を探ろうと開いたもの。
野口邦和常任世話人(元日本大学准教授)が主催者あいさつに立ち、「核兵器禁止・廃絶を敵視している安倍政権と国民世論との乖離は深刻化している。日本の政治を世界の流れに転換するために展望を語り会いたい」と述べました。
高草木博・原水爆禁止日本協議会代表理事、木戸季市・日本原水爆被害者団体協議会事務局長、新原昭治・国際問題研究者、笠井亮・日本共産党衆議院議員・常任世話人の4氏がパネリストとして報告しました。
高草木さんは「核兵器廃絶へ心躍る情勢、2020年の展望を考える」と題して報告。「核兵器禁止条約は発効するだろう。だがそれを核兵器のない世界へのステップにするためには、核保有国の中で核廃絶を求める国民世論を顕在化させ、条約参加まで持っていかなければならない。これが世界大会をニューヨークでやろうと考えた理由だ。そのために全力をあげよう」と語りました。
「冷淡な被爆行政――いったいどこの国の政府か」のテーマで報告した木戸さんは、「日本政府はなぜ、被爆者への国家補償を拒否するか。戦後の憲法があってはならないとした戦争犠牲の受忍≠被爆者に強いて、国の戦争責任を否定するからだ。唯一の戦争被爆国として、日本政府は本来とるべき被爆政策を行ってほしい」と訴えました。
新原さんのテーマは「ベトナム戦争で核出撃基地にされた沖縄」。ベトナム戦争が1964年に始まったとするのは不正確と指摘するとともに、沖縄はじめ日本の基地がベトナム戦争の出撃基地にされた事実をあげ、「ベトナム戦争を過去の戦争≠ナすませず、日本がかかわり、米軍が核兵器まで使おうとした戦争だということを共通認識として、いかに重大な犯罪であったかをいまからでも告発すべき」と強調しました。
笠井さんは「共同の力で核兵器条約に署名する政府いまこそ」と題して報告。核兵器禁止条約採択に示される世界の「主役交代」が進む中、日本政府が核保有国に追随して核兵器禁止・廃絶の妨害役を果たしているのは大問題だと批判。「核兵器廃絶の道筋を切り拓くカギは日本の世論と運動の発展だ」と語り、「核兵器禁止条約締結、安倍9条改憲を共通目標に掲げる野党連合政権の実現は急務だ」と呼びかけました。
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同シンポジウムでの報告全文は、近く発行の『記録集』に収録の予定です。
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非核の政府を求める会は2019年12月14日、東京都内でシンポジウム「被爆75年――核兵器依存政府から禁止・廃絶政府へ」を開きました。
パネリスト4氏の報告(要旨)を、次に紹介します。(文責・編集部=「非核の政府を求める会ニュース」12月・1月合併号より)
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核兵器廃絶へ心躍る情勢、2020年の展望を考える
高草木博(原水爆禁止日本協議会代表理事)
いま行動のとき
いま、私たちは人類史的な選択、大きな転換の時期に直面しています。
今月2日から昨日まで、気候変動枠組条約締約国会議(COP25)が開かれました。グテーレス国連事務総長は、いまは転換のアプローチを取るべき時だと強調し、2030年までの二酸化炭素排出量45%削減、50年までの差し引きゼロ達成を呼びかけました。
地球温暖化というのは未来のことでなく、現在進行形で、このまま進むなら住めない地球が現出することは時間の問題です。
核兵器問題も同じです。ことしの国連第1委員会で、中満泉上級代表は、グテーレス事務総長の言葉を引きながら、「核兵器の脅威はたんなる仮説でも遠い先の話でもない。それはいまここに現存する現実の危険なのだ」と言って、核兵器廃絶の行動を強く求めました。
国連は、創立直後の1946年1月の第1回総会で「各国の軍備から原子兵器およびその他の大量破壊兵器を一掃」することを、戦後政治の第一義的な課題に据えたわけです。驚愕すべき事実は、それを主導すべき国連の中枢の国々が、その危険を知りながら人類が絶滅するところまで核軍備競争を押し上げたことです。人類絶滅の危機を確信犯としてつくりだしたという点で、気候変動も核の危険も、重要な共通点があるように思いました。
核の危険と気候変動の問題には、もう一つ重要な共通点があります。大国やそれに連なる支配者のリーダーシップの欠如や逆行、無責任に対して、世界の多くの国々が国際政治の中で圧倒的多数になり、市民社会と協力して未来の流れを創り出していることです。
揺らぐ核大国の支配
来年2020年は被爆75年にあたります。ことし9月、国際団体と米国、欧州などの平和運動のリーダーが、第10回NPT再検討会議を前にして4月24、25日の両日、「原水爆禁止世界大会inニューヨーク」の開催を呼びかけました。正式名称は「世界大会――核兵器廃絶、寄港の危機の阻止と反転、社会的経済的正義のために」です。
目的は、1955年以来の日本の原水爆禁止世界大会の運動に励まされ「核戦争を阻止し、核兵器の全面禁止・廃絶を達成し、世界の被ばく者の援護と連帯のために活動する」ことであり、人類の生存にかかわる気候変動などのたたかいを合流させることです。
いろんな反響が生まれています。昨日も長崎から「世界大会ニューヨークを成功させる長崎連絡会・呼びかけ」が寄せられました。原爆を落とされた長崎で皆さんがオール長崎≠ナたたかおうとしている。日本全国にオール長崎≠実現していけば、必ず日本は変わります。
課題が一つ明確になりました。国連第1委員会の決議採択で、「核兵器禁止条約」決議の賛成は119、反対41でした。反対41の内訳は、核保有国8カ国(北朝鮮は棄権)と、核保有国以外のNATO加盟国26カ国、オーストラリア、日本などの札付きの国々です。
これらの国々は、影響のある国に対して圧力を加えて妨害してきましたが、本会議で123カ国が賛成したように、世界の流れは固まってきています。
では我々は、核兵器禁止条約が発効するのを待てばいいのかというと、そうではない。核兵器を持っている国々の傲慢さは、黙っていては直りません。
トランプ政権はイラン合意から離脱し、新START条約も2021年に期限が切れます。今度の国連総会に核保有5カ国が出した共同声明は「減じることのない安全保障」を強調しています。これでは核兵器はなくならない。
もう一つ大事なことは、核保有国の指導者はそれぞれの国の国民はどう見ているのかが見えていないことです。これが、私たちが世界大会をニューヨークでやらなければと考えたもう一つの理由です。
申し上げたいのは、核兵器禁止条約は成立するだろうが、それを核兵器のない世界への前進のステップにするには、核保有国の中でこの国民意識を顕在化させて、禁止条約に参加するところまで持っていかなければいけない、そのために私たちは全力をあげなければいけないということです。
被爆国日本の運動が引き続きリードを
そのために被爆国の日本として、世界に被爆の実相を発信していく。なぜそれが大事なのか、私たちはよく知っています。
1945年9月、占領軍が日本を占領して最初にやったことは、プレスコードで一切の原爆報道を禁じ原爆を秘密のベールで隠したことです。被爆者や被爆国民の口をふさげば世界は黙る、これが彼らの哲学でした。しかし、現実は、1955年の第1回原水爆禁止世界大会開催であり、被爆国の国民が口を開けば世界が動くということであり、それを証明してきた65年間であったということです。
被爆75年を新たな契機として、全国の14万人を超える被爆者の方々が一人も口を閉ざしていないようにしたいと思っています。これは原水爆禁止運動や市民社会の役割だと思います。それを世界に伝えるのも、我々の仕事です。
最後にもう一つ、大事な点があります。それは、核兵器禁止・廃絶は、核兵器禁止条約ができたあとも、日本がリードしなければいけないということです。私たちが世界に示すリードとは一つ、日本を変えることだと思います。
署名運動でも自治体の意見書決議でも大きな変化が生まれています。問題はこれを国政に持っていくことです。運動を共同すること、国政段階で政治に働きかけることです。「市民連合」の廣渡先生は禁止条約について「早いという野党はない」とのことでした。これも大きな変化です。
私は、日本を変えることはできると思います。そして、こういうふうに日本を変えることが世界の非核化になるのだと示すことを、日本の運動がリーダーシップとして果たすべきではないかと思っています。
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冷淡な被爆行政――いったいどこの政府か
木戸季市(日本原水爆被害者団体協議会事務局長)
私たちは原爆被害への国家補償を要求してきました。私たちが何を求め、日本政府がどう応えているのかに絞って発言します。
私たちが国家補償を求める原点は、ヒロシマ・ナガサキで出現した世界であり、そのときに何を思ったかということです。
政府は敗戦をどう迎えたか
日本政府が敗戦をどう迎えたかをよく表しているのが「終戦の詔書」です。敵は「新たに残虐なる爆弾を使用して頻りに無辜を殺傷し…」、戦争が続けば、「民族の滅亡を招来するのみならず延て人類の文明を破却」すると救世主然と言っている。「国体の精華を発揚し世界の進運に遅れさらむことを期す…臣民よ其れ克く朕が意を体せよ」と、戦争に対する反省がありません。ここから日本の戦後が出発したのです。
被爆者の74年
被爆者の74年は、2つの時期に分けられます。一つは日本被団協を結成するまで、もう一つは被団協を結成してからの63年です。
原爆が落とされた後の1945年9月初め、英国の新聞に広島の被爆者の死が報道され、世界に衝撃が走りました。占領軍のファーレル准将は6日、帝国ホテルで記者会見し、原爆報道を禁止し、原爆被害の写真や映画フィルムを持ち去り、弾圧しました。被爆者にとって最も援助が必要なとき、GHQは食料や医療の援助を求めたジュノー博士の要請を拒否しました。
同時に日本政府は、広島・長崎への戦時災害保護法適用を戦争が終わったという理由で打ち切り、緊急救護所を閉鎖しました。被爆者は医者がいない、病院がない中でがれきの国民学校などで治療していたのですが、それらが閉鎖され追い出された。政府は被爆者を見捨てたのです。
では被爆者は黙っていたのかというと、けっしてそうではなかった。死者を弔う法要やミサなどで、被爆者は声を上げ、原爆の反人間性を訴えて、生活を守り、医療や援護を求める運動があちこちで起こっていました。ただ、全国的な運動、組織が生まれるまでには至っていなかった。
被爆者は、84年のビキニ事件、翌年の原水爆禁止世界大会に励まされて、86年、日本被団協を結成しました。以来、今日まで被団協の「基本要求と運動」を掲げ、自らを救い人類の危機を救うために運動してきました。そして84年、「原爆被害者の基本要求」をつくりだしたのです。
「基本要求」は、「核戦争を起こすな、核兵器なくせ」と「原爆被害への国家補償を」です。この2大要求は、今や被爆者だけでなく、日本国民、世界市民の要求になっています。
「原爆被害の国家補償」は、大きく4つの柱があります。@再び被爆者をつくらないという決意を込めた国家補償、A原爆死没者の遺族に弔慰金と遺族年金を、B被爆者の健康管理、治療・療養を国の責任で行う、C被爆者全員に被爆者年金を支給し、障害を持つ人に加算、そういう制度をつくることです。
日本政府の被爆者政策
日本被団協の結成は、大きく世論を変えて政府を動かしました。結成の翌57年に、「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律」(原爆医療法)が制定されました。しかし、その法律は、被爆者健康手帳を交付した被爆者に対する年2回の健康診断と原爆症医療制度認定制度を設けただけで、その手帳を交付される人も直接被爆者、入市被爆者、医療看護等被爆者、胎内被爆者に限られていました。
司法はどういう判断をしたか。1963年の「原爆裁判」東京地裁判決は、政府の援護施策では不十分だ、それは国政、立法の問題だと述べています。78年の孫振斗判決では、原爆被害は「遡れば戦争という国の行為によってもたらされたものである」と国の戦争責任に言及しています。
政府は追い込まれて、原爆被爆者対策基本問題懇談会(基本懇)をつくることになります。80年12月に、「原爆被爆者対策の基本理念及び基本的在り方について」(「基本懇意見」)を出しましたが、これは被爆者の国家補償要求を退け、「戦争犠牲の受忍」を強いるものでした。これは絶対に許すことはできません。
その後、国家補償要求の被爆者援護法を作れという運動が盛りあがりました。大きな国民運動になりました、その中で作られたのが「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」(現行法)です。そこでは冒頭、「原子爆弾という比類のない破壊兵器は、幾多の尊い生命を一瞬にして奪ったのみならず、たとい一命をとりとめた被爆者にも、障害いやすことのできない傷跡と後遺症を残し、不安の中での生活をもたらした」と言っています。ところがそのすぐ後で原爆被害を放射能に起因する健康被害に矮小化してしまった。
その意味では、「終戦の詔書」から「原爆医療法」、現行法まで、国がとっている被爆者行政の本質はまったく変わっていないというのが私の印象です。
政府はなぜ国家補償を否定するのか
最後に、政府はなぜ国家補償を否定するのか、です。それは、国の戦争責任を否定するということです。
国は軍人軍属に対しては一定の補償をして、戦争被害者と被爆者を分断している。さらに、原爆で亡くなった人、原爆孤児、家族・遺族を切り捨てて、被爆者も分断している。つまり、被爆者、日本国民、世界市民の願いに背を向け、日本国憲法に違反した政策をとっているのです。
日本政府には、唯一の戦争被爆国として本来とるべき政策に一日も早く立ってほしいと思います。
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ベトナム戦争で核出撃基地にされた沖縄
新原昭治(国際問題研究者)
ベトナム戦争は、第2次大戦後、最悪、最長の最もひどい侵略戦争でした。ベトナム人民はよく戦い抜いたものだと思います。
一昨年(2017年)から昨年にかけて、米紙「ニューヨーク・タイムズ」は「1967ベトナム」という特集を100本ほど組みました。一番読ませたのは、1967年10月20日から21日にかけて、ワシントンからペンタゴン(国防総省)のあるバージニアまで200万人もの人たちが反戦運動をやるんですが、米国内のベトナム反戦の10・21行動についていろんな人たちに聞いて、相当数のページを使った特集でした。連載の最後は去年の10月、沖縄からベトナムで核兵器を使おうとしたという大きな特集でした。
米国では、研究者や新聞がベトナム戦争を後追いして、様々なテーマで取り上げています。日本はベトナム戦争の出撃基地にされた国なのに、真剣さが足りないのではないでしょうか。
ベトナム戦争はいつから始まったのか
ベトナム戦争はいつから始まったのか。日本では、1964年か65年に始まったという人が多いのですが、私はそれは違うと言っています。
1945年9月2日にホー・チ・ミンがハノイでベトナム民主共和国の建国宣言をします。その1〜2カ月後に、ハノイ外港のハイフォンに対してフランス軍が攻撃をしかけて、フランス軍がベトナム植民地復活戦争を始める。54年5月に、ラオスに近いベトナム山岳地帯のディエンビエンフーにフランス軍が閉じこもりますが、結局フランス軍が敗退する。実はその頃から米軍の介入が目立ち始めるのです。
前年の1953年10月、日本に最初に核兵器を積んできた空母オリスカニが横須賀に寄港します。あるとき私は、ワシントン海軍基地にある関係文書事務所でオリスカニの54年春の行動記録を見ました。記録はほとんど削られていましたが、表紙に「南シナ海」の文字があった。ベトナム民主共和国の北の海域です。そういうところに核積載空母が行っていた。
ベトナム戦争の真実を、1967年までの期限でアメリカ政府が作った、7000ページの秘密文書があります。政府部内でその仕事をしていたダニエル・エルズバーグが大胆にもその材料を1971年頃から「ニューヨーク・タイムズ」などのアメリカの新聞に提供して書かせました。
ベトナム戦争がいつから始まったかについては米国内でも議論があって、エルズバーグは、第2次大戦後のすべてのベトナムでの戦争の過程は米国のベトナム戦争だったと分析し批判しています。
実例を挙げます。東京の砂川事件です。1955年、東京の立川米軍基地の滑走路を延長する動きに反対するたたかいが起こった。そのとき、東京地裁の「伊達判決」が出ました。要するに、日本における米軍の存在は憲法違反という判決だったのです。私は10年ほど前、米国立公文書館で、その「伊達判決」をつぶす役割をマッカーサー2世大使がやっていたという文書を見つけました。
そういう舞台になった立川基地とは何だったのかを調べたら、そこに新しくきた第315米空軍師団がそれまでは朝鮮戦争にかかわっていたけれどもベトナム戦争方面に変わった。結局、315師団の立川での活動は、主としてベトナムだったのです。
沖縄に核兵器を持ち込ませたアイゼンハワー大統領
当時のアイゼンハワー大統領は核兵器についてどういう考え方でベトナム戦争以来の行動を指揮してきたか。
当時、国家安全保障政策を担当していたマクジョージ・バンディが、後に『危険と生存』という本を出し、こう書いています。
「1953年10月30日、アイゼンハワー大統領は国家安全保障の基本政策として以下のとおりの文章を正式に承認した。『戦時にはアメリカは核兵器をその他の弾薬と同様に使えるものと見なす』」。これは他の箇所と違って、アイゼンハワー自身が直接かかわってやらせたものでした。さらにアイゼンハワーは「本政策は国家安全保障会議において改めて再考したりしない限りは一切公表してはならない」との一文を添えました。
それから14〜15年後のジョンソン政権時代のベトナム侵略戦争について、米空軍次官を務めたタウンゼント・フープスが著書の中でこう書いています。「朝鮮戦争の間、爆撃の不正確さは米空軍を悩ませた」、しかし「朝鮮戦争とベトナム戦争の間に開発された戦闘爆撃機も核兵器運搬用としてつくられ、計画され、核兵器のためには目標の絶対的正確さを図る必要がないので、正確な爆撃ということにはあまり注意を向ける者がいなかった」。
そういう核戦略の下で、アイゼンハワーは1953年7月、沖縄に空軍の核兵器を持ち込めと命じ、54年末までに嘉手納基地北側の大きな弾薬庫にニューメキシコ州のアルバカーキの空軍基地から最初の核爆弾が持ち込まれます。
異常高温のベトナムを避け、沖縄に核兵器
アメリカのある文書館に、ジョンソン大統領当時、南ベトナムに派遣されていた米陸軍部隊はどんなふうに核兵器使用の準備をしていたかを示す資料も残っています。簡単に言うと、ベトナムでの核兵器使用の準備は沖縄でなされていた。ベトナムは異常高温だから核兵器は置けないと書かれています。だから沖縄に核弾頭を置いたらしいのです。
ベトナム戦争は1950年代から日本がかかわった侵略戦争で、しかも米軍が核兵器まで使おうとした戦争です。そのことを我々は共通認識にして、それがいかに重大な犯罪であったかをもっと調べて、今からでもあらためて告発すべきではないかと思います。
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共同の力で核兵器条約に署名する政府いまこそ
笠井 亮(日本共産党衆議院議員・会常任世話人)
「桜」でウソと隠蔽・忖度・強権政治が極まった「総理隠し」「疑惑隠し」国会
臨時国会が終わりました。「桜吹雪問題」でウソと隠蔽、忖度、強権政治が極まり、「総理隠し」「疑惑隠し」の国会でした。
野党は結束して安倍政権を追い詰め、逃げ切りを許さず、会期延長を求めて臨みました。安倍政権は、将棋でいうと二重三重に詰んだ状況です。年明けの国会は、政府が予算案を出してくれば、総理も予算委員会に出てこざるをえなくなって、そこで立ち往生するのは目に見えています。
核兵器廃絶を妨げる日本決議
いま「主役交代」という世界の下で、日本が「橋渡し役」どころか、核兵器廃絶を妨げる役を果たしていることは大問題です。
世界の主役がひと握りの核大国から世界の多数国と市民社会へと交代していることを端的に示したのが、2年前の核兵器禁止条約採択でした。ことしの国連総会でも、圧倒的多数の国がこの禁止条約を支持して、核固執勢力の孤立がまざまざと示されました。
そのハイライトは、核兵器禁止条約の採択を歓迎し、すべての国に署名・批准を促す、オーストリア提案の「核兵器禁止条約」決議で、123ヵ国の賛成で採択されました。日本は、反対しました。
日本政府が提案した決議案には厳しい批判が集まっています。これまでのNPT再検討会議の合意も反故にする内容で、核兵器禁止条約に敵対し、核戦力の維持・強化をはかるアメリカなど核兵器国への異常な追随姿勢がいよいよあらわになったと言えます。
ことし6月、この会の世話人になった井上哲士参議院議員が、参院外交防衛委員会で茂木外務大臣に質問しました。井上議員は、去年の決議案にあった、「明確な約束」という言葉を今回削ったのはなぜかと追及しましたが、外務省はまともに答えられなかった。
さらに問題なのは、核兵器の非人道的な結末に関して、去年の日本決議では「深い懸念」と言っていたのに、今回「認識し」に変えたのはなぜかとただしました。しかし、核保有国から言われたからと言わんばかりの答弁でした。
ことしの国連総会は核兵器禁止条約に80カ国が署名し34カ国が批准した局面で開かれたわけで、その局面自体が、これを推進する国々の核軍縮の議論に勢いを与えていると感じます。
他方、P5は、禁止条約に関する決議が採択された後で、イギリスが代表して態度表明をしましたが、これまで採択するまでの議論の段階で散々「反対だ」と声高に言ってきたことからすると、今年は腰が引ける状況になっている。それだけ力関係が変わってきているのだと思います。
核兵器国5カ国の動きではこの間、中国が顕著な形で核ミサイルの多弾頭化や核兵器の近代化、増強を進めている状況です。中国はいまや、P5に組み込まれているというより、自ら禁止条約反対とP5協調の積極的な推進者になっている点が際立っています。
そういうことで、世界の構図から見れば、米ロ・米中の対立というものが、緊張を激化させる危険をはらみながらも、「核抑止力」論の立場から核兵器に固執し、独占維持・強化する上では利害が一致している。
そういう中で、NPT再検討会議の到達点を踏まえて、核兵器廃絶の道筋をどう切り開いていくかが国際社会に問われています。逆流を乗り越えて、前進させる最大のカギは、核保有国・同盟国、とくに唯一の戦争被爆国で9条を持つ日本での世論と運動の発展にあるということは、非常に大事な点だと感じます。
「市民社会」の本領発揮し、核兵器禁止条約に署名・批准する政府つくろう
最後に、市民社会の本領を発揮して、核兵器禁止条約に署名・批准する政府をつくる重要性についてです。ことしの国連総会一般討論でも、市民社会の役割が非常に強調されました。
そういう中で、日本が署名・批准するためにも、これを共通目標とする野党連合政権の実現が急務になっています。その点では、野党が一致して求めており、ずいぶん状況が前進している。立憲民主党の枝野代表も、国民民主党の玉木代表も、社民党の吉田前党首もそれぞれ禁止条約調印への決意を表明しています。
「市民連合」よびかけ人の広渡清吾さんは、安倍政権を倒さずに禁止条約の調印・批准はできない。共通政策にして原水禁運動と安倍政権を倒す運動を結びつける必要があると述べました。「総がかり行動」共同代表の福山真劫さんは、市民連合と立憲野党との間で政策合意することになったら、これは確実に加えることになると述べています。
NHKの世論調査の結果は、65・9%が禁止条約に参加すべきと答えています。ヒバクシャ国際署名は1051万人分を国連総会に提出し、区市町村議会の意見書採択は462議会です。これらを大いに広げながら、核兵器禁止条約への署名・批准を迫っていく必要があります。
最後に、9条改憲と発議を許さなず、9条を生かす政治をつくるときだということを、あらためて強調したいと思います。
憲法審査会ではこの国会、また自民党改憲案提示を阻みました。4国会続けて阻んできたということで、これは大きな成果です。しかし安倍首相は国会閉会後の記者会見で、「必ずや私の手でなしとげていきたい」と話しています。ここは本当に力を込めて頑張らなければと思います。
世界の大きな流れとたたかいは、日本のたたかいと直結しています。「原水爆禁止世界大会ニューヨーク――核兵器廃絶、気候の危機の阻止と反転、社会的経済的正義のために」を成功させるために、被爆国日本の我々が大いに頑張るときだと痛感しています。
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