安倍元首相らの「核共有」議論をめぐって論議
非核の政府を求める会核問題調査専門委員会 |
| (2022.5.19) |
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非核の政府を求める会核問題調査専門委員会の例会が5月19日、開かれ、「『核共有』ではなく『平和を愛する諸国民の公正と信義』を――NATOの『核共有』の実態に触れながら」と題して日本反核法律家協会会長の大久保賢一さんが報告。活発な論議が交わされました。大久保さんの報告要旨を次に紹介します。
(文責・編集部)
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タイトルの「平和を愛する諸国民の公正と信義」というのは、日本国憲法前文にある言葉です。軍事力ではなく「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼してわれらの安全と生存を保持」するということです。
いま、ロシアのウクライナに対する侵攻があって、凄惨な戦闘が行われているわけですが、戦争でいちばん大きな被害を被るのは民衆です。絶対に戦争をやってはいけない。それに代わるものとして、平和を愛する諸国民の公正と信義がある。現に、ウクライナに対する侵攻に反対している人々の手に武器はないけれども安全と生命を守る決意は固いわけです。
■「核共有」論の意味すること
「核共有」論や、「非核三原則を見直せ」ということがいろんな人たちから言われています。先鞭をつけたのは安倍晋三元首相です。橋下徹・元大阪市長の発言もマスコミでは大きく取り上げられています。
二人が主張しているのは「核共有(核シェアリング)」です。安倍氏はNATOを念頭においているようです。橋下氏は「核共有の議論は絶対に必要だ」と言っています。日本維新の会は、核共有による防衛力強化を図るよう政府に提言しています。高市早苗自民党政調会長は、「非核三原則」の「持ち込ませず」について「自民党内で議論したい」と言っています。
これはどういう意味なのか。日本政府は、「非核三原則」を維持すると言っていますが、本音の部分では日米「密約」で有事の際の核兵器の持ち込みを認めている。ということは、「非核三原則の見直し」「核共有」論というのは、有事のときには核兵器を持ち込むという「建前」の部分も壊すということです。
NATOの「核シェアリング」を参考にすると言っていますが、具体的には、航空自衛隊に核兵器を運搬させて目標地点に投下するということです。自衛隊に米国の核兵器を運搬させて、中国、北朝鮮、ロシアのいずれかに核兵器を落とせるようにしろという提案です。核兵器投下に関与したいという点では、自主的な核武装に近づいているのではないか。そういう性質の議論だと言えます。
NATOの「核共有」とはどういうものか。
NATOの核兵器国は米英仏の3ヵ国で、非核兵器国のドイツ、イタリア、オランダ、ベルギー、トルコの5ヵ国・6基地に米国の核爆弾(B61)が推定約150発配備されています。
NATOの核兵器使用の指揮命令系統は、米国大統領と英国首相による承認とNATO核計画グループにおける各国政府の承認を経て決定される。米国だけで決められるシステムではないが、米国が決定すれば他のNATOの加盟国も同意する可能性が高いでしょうから、米国の意向が強く反映することになります。
■NATOの「核共有」はNPT違反でないか
疑問なのは、核兵器国の核兵器を非核兵器国に配備するのは、核不拡散条約(NPT)に違反しないのか、ということです。
NPT第1条では、核兵器国が非核兵器国に核兵器または核爆発装置またはその管理を直接・間接に委譲することを禁止しています。第2条では、非核兵器国に核兵器国からの核兵器またはその管理を受領することを禁止しています。要するに、核兵器国からの譲渡も、非核兵器国の受領も、両方禁止している。NPTは、核戦争は全人類に惨禍をもたらすし、核兵器の拡散は核戦争の危険を著しく増大させるので、それを避けるために、核兵器の拡散を防止し、完全廃絶をめざす条約です。
日本が米国から核兵器の委譲を受けることになれば、NPT1条、2条に違反することになります。
NATOでは現実に「核共有」が行われています。それはNPTに違反しないのか。
新垣拓・防衛研究所主任研究官によると、NATOの核兵器国である米英仏が自国の保有する核兵器およびその管理を非核兵器国である同盟国と「共有」することは、それらを禁止した核不拡散条約(NPT)に抵触することになるが、NATOの核共有制度はNPT違反ではないと言うのです。なぜかと言うと、NPTが禁ずる「核共有」とは「核兵器およびその管理」の委譲と受領なので、NATOの「核共有」は、米国が自国の核兵器の管理をしているので、NPTに抵触しないと言うわけです。
これは、条文が「核兵器またはその管理」と言っているにもかかわらず、「核兵器および管理」と読んで、管理は米国にあるのだからNPT違反ではないという言い方で、とんでもない読み方です。
けれども彼は、それだけではなくて、「NATO核共有制度を禁止しない条文とすることがNPT交渉における米国の条件であり、そのような条文・解釈であることについてソ連、同盟国も了承したことでNPTが成立したという背景がある」と説明しています。
NPTの署名や批准に際して、「ドイツの安全保障が引き続きNATOにより保証されるものであり、ドイツ政府は、NATOの集団安全保障の規則により拘束されることを前提とする」との宣言をしています。この宣言が、ドイツの「核共有」についてNPTの適用を免れる根拠となるかどうかが問われます。
NATOの「核共有」は、戦時の際にドイツ政府の権限のもとで行動するドイツ軍兵士に核兵器を委譲できるとされています。この核兵器の委譲はNPTを損なうものです。ドイツの宣言は国際法上の留保の対象とすることはできないので、この宣言を理由として「核共有」を合理化することはできません。
■日本での「核共有」の問題点
では、日本で「核共有」はどんな問題点をもつのか。これから日本に核兵器が持ち込まれてくるとなると、NPT1条、2条違反だというのは、通説に近いと理解しています。また、憲法98条2項では「条約を誠実に遵守」すると明記されています。「核共有」はNPT違反だし、憲法違反だということです。
ところが、安倍さんたちは、この法的制約をどのように解決するかについて説明していない。彼らは、条約も憲法もないかのように振る舞う無法者です。これが核兵器使用を排除しない者たちの正体です。核兵器というのは、人類の滅亡をもたらすかもしれない「死神」であり、それらのパシリ≠フような役割を彼らは果たしているのではないか。
「核共有」論の議論は無用です。核兵器の使用が全人類に惨禍をもたらすことは、核兵器国を含め、国際社会の公理とも言うべきものです。彼らはこれを否定しようとしている。彼らの議論の根本的な誤りは、核兵器の必要性や有用性をみとめていることです。この手の議論は無意味と言うより有害です。
では、我々は対応策をどう考えるか。いま毎日、テレビなどでロシアの蛮行が放映され、そのなかで「ロシアはひどい。ウクライナのような目にあいたくない」との思いに襲われていることは無理からぬことです。問題は、その不安をどう解消するか、です。日本が核兵器をもてば解消できるのか。米国の核兵器を日本に常備すれば解消できるのか、ということです。
核兵器と人類は共存できません。これは被爆者の思いであるだけではなくて、核兵器禁止条約は「(ヒバクシャの)容認しがたい苦痛と被害」を原点に、核兵器を禁止し、廃絶しようとしている。つまり、条約国際法として、核兵器と人類は共存できないということを確定しているわけです。核兵器を安全保障の手段としているのはまったく不適切です。核兵器を使えば、自国民も滅ぼしてしまうことになります。ところが「核抑止」論というのは、長い平和を確保するための道具だという話になる。「核抑止」論から脱却しなければなりません。
■「平和を愛する諸国民の公正と信義」へ
それに代わるものはやはり、「平和を愛する諸国民の公正と信義」です。ロシアの政権の態度を変えるには、ロシア人民のたたかい、政治的意思がなければ変わらないと思います。
私は、殺傷力と破壊力の強弱で紛争を解決しなければならないほど、人間が愚かだとは思いません。戦争にも人道上の配慮が必要だと言われるようになってからおよそ120年になります。さらに戦争そのものが違法化され、戦争も戦力も放棄する日本国憲法が施行されて75年になります。
この到達点から後ずさりすることは、「核の時代」であるがゆえに、「終末」を招くことになります。核兵器と「戦争という制度」を廃止しなければならないと思います。 |
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