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 ●核爆者援護・連帯
 
日本被団協創立55周年
 
すべての被爆者への償いと核兵器の廃絶求め、さらに前へ
日本被団協事務局長 田中煕巳さんに聞く
2011.9.15


55周年――被爆者運動学ぶ機会に

 ――日本被団協はこの8月10日、結成55周年を迎えられました。まず節目の年への思いから。
 私たちはこの夏、長崎で55周年記念のレセプションを開き、10月には東京で記念の集いを開きます。一般的には50周年の次は60周年ということなのかもしれませんが、被爆者は高齢化していますし、被爆者運動としては新しい人たちが増えてきていますので、55周年の今年を、改めて被爆者運動を学ぶ大事な機会にしたいと思っています。そのために今、55周年事業として新しい原爆パネルや被団協パンフレットも作ろうと話しあっているところです。

 ――改めて日本被団協の結成の意義についてお話しください。
 広島・長崎の被爆から66年目なのに、日本被団協はなぜ55周年なのか――、このことについて私もいろんな機会に話すのですが、被爆から12年間、被爆者が国から完全に放置されていたことは意外と知られていないのです。国が原爆被害に関する最初の法律「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律」を作ったのは、被爆から12年も経った1957年のことです。
 日本被団協はその前年の1956年に結成されます。そのきっかけになったのは、ビキニ水爆実験被災の翌年に開かれた第1回の原水爆禁止世界大会が、核実験の禁止と被爆者の救援は車の両輪であるというスローガンを立て、そこから全国的な被爆者発掘運動が始まったことです。翌年の第2回原水爆禁止世界大会には全国から多くの被爆者が集まりました。そこで一気に結成されたのです。
 日本被団協は結成当初から、国家補償と核兵器廃絶を基本要求として掲げたのですが、これは今振り返っても、非常に先見性のある方針だったし、この方針を55年間、掲げ続けてきたことは大きな意義を持つと思います。
 というのは、国家補償要求について言えば、その障害は「国策である戦争の犠牲については国民はがまんせよ」という国の「受忍」政策だからです。これは被爆者だけの問題ではありません。それは国民を「天皇の臣民」と考える戦前の帝国憲法の流れをくむものであり、国民主権、民主主義の根本にかかわる問題だからです。
 もう一つの「核兵器の廃絶」要求は、当然、アメリカの核政策に正面からぶつからざるをえないし、それに追随している日本政府の核政策ともぶつかるわけです。その意味で、この2つの基本要求は、平和運動の核心になる要求運動であったと思います。これらはまだ実現されていませんから、これからも続けなくてはいけません。

好評です『原爆症認定訴訟の記録集』

 ――『原爆症認定集団訴訟たたかいの記録 明らかにされたヒバクの実相』がこのほど刊行されました。作家の大江健三郎さんは、「隅々まで明快な、偉大な本…私は危機を超えての『希望』を見ました」と評しています。同書に収められたたたかいそのものとその成果は、戦後の国民主権、国民の権利を守る運動の大きな財産ですね。
 そうなるとうれしいですね。この本は今年の原水爆禁止世界大会に間に合うように作ったんですが、反響がよくて、集団訴訟の弁護団が受け持った分はもうなくなったそうです。
 やっぱり裁判を通して、改めて原爆被害のもつ非人道的な実態が明らかにされたこと、そしてそのことが運動の大きな広がりを作って裁判所を動かし、与党議員も一生懸命になるほど政治をも動かすことができた。そこには、66年前の体験にとどまらず、放射線被害者は2度と起こしてはならないという、一番リアルな告発が込められていると思います。これから福島などで対応を検討する際の材料にもなるのでは、と思っています。

「現行法改正要求」でめざすもの

 ――日本被団協は今年の定期総会で「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律(現行法)の改正要求」を採択しました。なぜ「改正要求」なのか、国の対応はどうなっているのか、お話しください。
 政府は、原爆被害に関する問題でいちばん肝心の「受忍」政策は一貫して堅持し続けています。その環は、最大の被害者である死没者に対する補償を認めるかどうかです。身体的な被害に対しても、放射線の影響しか認めていません。ですから、「改正要求」では、原爆被害に対する国の償いと核兵器廃絶を趣旨とする法の目的を明記すること、死没者を含むすべての原爆被害者に償いをすることなどを求めています。
 結局、国は認定基準を変えたり、一定の対応をせざるをえなくなっているけれども、基本的な考え方は変わっていません。最近も医療部会の委員長が2008年の認定基準の改定について、「あれは政治的な判断が入っている。だから科学的な根拠に頼らざるをえない私たちは苦慮する」などと発言するわけです。彼らは戦争被害だという見方ができない。国策のためなら国民の権利は見捨てていいのか、基本はそこなんです。世界では、国が起こした戦争でもたらされた犠牲を国が償うのは常識です。戦前から官僚機構の中に営々と生きてきた「受忍」政策を突破しなければなりません。そのためにはやはり政治を動かすしかない。
 原爆症認定集団訴訟で私たちは、超党派の議員連盟を作って国を追い詰めてきた実績があります。最初は、「行政裁判なんて勝てるの」という話も出ました。パンフレットを作り、議員一人ひとりを訪ねて回ることから始めました。そのたたかいの中で、最高裁が現行法には国家補償的配慮があるとの認識にたって、原告一人ひとりを総合的にみると放射能の被害を受けたと認定するべきだという判断を示しました。これは一連の裁判に大きな影響を及ぼすものとなった。こうして集団訴訟は、最初の心配がウソのような勝利判決を重ねていくことができたんです。

節目の年に新たな放射線被害者が

 ――被爆者の願いに反して結成55周年の年に、福島原発事故により、新たな放射線被害者が作られる事態となりました。
 残念ですね。きょうも東京電力に原発をなくせと要請に行ってきました。日本被団協は今年の定期総会で、原発についてはっきりものを言おうという方針を決めたんです。“今後のエネルギーを原子力に頼るというのは不可能と考えてよろしい”と。全国にあるどの原発で事故が起きても今回のような重大事態になるわけですね。被爆者は、放射線後障害で長年すごく苦しんできたわけですから、今後、原発を含めて核被害のない世の中にしなければと切実に願っています。

 ――66年前のヒロシマ・ナガサキの教訓を生かそうとしなかった政治の責任は重大ですね。
 国民に放射線被害について啓蒙してこなかったツケはあまりに大きいと思います。放射線がどういうものかということを、国民にほとんど教えてこなかった。原爆被害を教育の中から消し去ろうとしていたのと軌を一にしていたと思います。その一方で、根拠のない安全性ばかりを抽象的に喧伝してきたわけです。
 そのいちばんの原因は、原発政策がアメリカの核戦略を受け容れた日本政府の核政策と一体的に推進されてきたことにあると思います。やはり日本の原発と核政策や原爆被害の関わりについて国民的な論議が行なわれるべきで、今回の事故をその好機としなければならないでしょうね。

 ――福島の原発事故が起きた後、放射線障害や内部被曝の問題がマスコミでも大きく報じられています。その背景には、原爆症認定訴訟など被爆者のたたかいによる影響の広がりがあるでしょうね。
 たしかに、かつて大気中核実験による放射性降下物が日本に降ったとき、「死の灰を吸った」などという言い方はあったけれど、被曝したらどうなるとか、アメリカに補償を要求しようとか、そういう議論にはなりませんでした。それが今回、事故発生直後から大きく取り上げられているというのは、被爆者がずっと訴え続けてきた被爆の影響、内部被曝の怖さ、重要性が、この55年間に日本社会のなかに広まっていったことと無縁ではないと思います。
 少量の線量であっても5年、10年経つと症状が表れてくるというのが低線量被曝の特徴だときちんと言えるのも、やはり被爆者自らが数多くの症例を提供してきたことによって証明されてきたからです。
 私自身、そういう経験があったからこそ、今回、福島の人たちに対して、すぐ健康手帳を発行して、被曝状況をちゃんと記録して、これからも定期検診を年2回以上やるべきだと言えたわけです。その提案は一応受け入れられて手帳が発行されたり、検診が始まったりしています。「さすが被爆者だ」というメールが何通も寄せられています。

「本当のことを知りたい」の声

 ――放射能汚染についての関心が広がり、核兵器廃絶についても身近に受け止められるようになってきているとの声が、各地で聞かれます。
 私も先日、「原発と核兵器」について話をする機会があったのですが、参加者が多いし、関心の高さを実感しました。幼子を持つお母さんをはじめ、国民の中に「放射線被害について本当のことを知りたい」という声が広がっている。具体的な裏づけを示さないで「ただちには影響ない」などと言われれば、かえって「将来はどうなの」と不安になるのは当然です。
 被曝すれば「ただちには影響ないけど将来影響が出てくる」と言ったほうがいいと思います。影響が出るといっても、全員ではないし、20年後、30年後のことです。人間の身体には修復力があるから、その間にかなり修復していくだろうし、医学も進歩するだろうから影響を抑えこむことができるようになる可能性はある。だからくよくよせず、どう克服するかを考えよう、逃げるよりも向かっていったほうがいい――私はそう話しています。
 もちろん行政や東電などに要求すべきことはきちんと押さえておく。病気になったらちゃんと手当はしてもらわなければいけない。同時に、一人ひとりの生き方としては、やはり放射線の影響とは積極的にたたかって生きる。そして、被曝した人が孤立することのないよう、もう一度、人間のつながりを作りあげていくことも大事なことだと思いますね。