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 ●シンポジウム
 
非核の政府を求める会
  
シンポ「『海外で戦争する国』か、非核・平和の日本か
         ――安倍政権の暴走政治ストップへ」 
ひらく
2013年12月14日

 非核の政府を求める会は安倍内閣による秘密保護法の強行採択から1週間後の2013年12月14日、東京都内でシンポジウム「『海外で戦争する国』か、非核・平和の日本か――安倍政権の暴走政治ストップへ」を開きました。「海外で戦争する国」作りめざす安倍政権の暴走政治に反対する、国民の平和の願いの広がりと結んで、核兵器廃絶と非核の日本実現への
展望を探ろうと開いたもの。パネリストとして、笠井亮・日本共産党衆議院議員、小澤隆一・東京慈恵会医科大学教授、新原昭治・国際問題研究者、高草木博・原水爆禁止日本協議会代表理事の4氏が報告。藤田俊彦・前長崎総合科学大学教授、児玉三智子・日本原水爆被害者団体協議会事務局次長の両氏が特別発言を行いました。
 笠井氏は、「日本政府の核政策――歴史が語る虚構と実像」のテーマで報告。秘密保護法の強行で、強権と戦争国家づくりへの国民の怒りは強まっており、違憲の法律は一刻も早く撤廃すべきと強調。被爆国でありながら「核抑止力」に依存する日本政府の核政策の根本に、過去の侵略戦争への無反省と米国追随の姿勢があると指摘しました。
 「安保優先の歪んだ政治を日本国憲法でただす」と題して報告した小澤氏は、日米安保条約優先政治が描く次の改憲プログラムは集団的自衛権問題だとして、その行使を容認する議論を批判。いま求められるのは憲法にもとづく平和の希求であり、集団的自衛権を封印し、軍事同盟を解消することだと強調しけました。
 新原氏は、「核持ち込みは過去の話なのか――日米『核密約』のいま」のテーマで報告。日本政府が核密約についても非核三原則つぶしも米国と密室ですりあわせているところに危険な現実があると指摘。オバマ政権の最近の核使用戦略、核兵器海外展開政策の特徴を明らかにしました。
 「2015年NPT会議に向けた日本の反核運動の責務」について報告した高草木氏は、2015年の核不拡散条約(NPT)再検討会議に向けて、日本の反核運動は核兵器全面禁止・廃絶のための共同のたたかいを呼びかけ、実現していく役割があると強調。すみやかな廃絶に背を向ける日本政府の姿勢に待ったをかけようと語りました。
 つづいて特別発言に立った藤田氏は、「第68回国連総会・核兵器決議の採択状況をどうみるか」と題して報告。今年、非同盟運動が新たに提案した「核軍備撤廃に関するハイレベル会合の後追い」決議の特徴を分析。国連総会の投票結果は、全体として核軍備縮小・撤廃への国際社会の志向の高まりを示していると語りました
 児玉氏のテーマは「原爆被害の実態にそった被爆行政の抜本的改善を――ふたたび被爆者をつくるな」。自身の被爆体験、核兵器廃絶と原爆被害への国家補償を求めてきた被爆者運動の歴史を語り、原爆被害を狭く、小さくみて国会保障を拒否する国の姿勢を告発しました。を
 増田善信常任世話人(気象学者)が開会あいさつを、駒場忠親忠親常任世話人(日本自治体労働組合総連合顧問)が司会を務め、常任世話人の高橋和枝・新日本婦人の会副会長が閉会挨拶を行いました。
 パネリスト各氏の報告(要旨)は次の通りです。

             ◇

日本政府の核政策―歴史が語る虚構と実像
笠井  亮(日本共産党衆議院議員)

 特定秘密保護法という違憲の重大法案の強行から1週間が経ちました。可決されましたが、がっかりするどころか、ますます怒りは強まり、撤廃を求める動きが広がっています。強行した途端に安倍政権の支持率が急落、東京の新宿駅頭で署名を呼びかければ行列ができる状況です。
 安倍首相は12月9日の記者会見で、「私自身がもっと丁寧に時間をとって説明すべきだったと反省」と言いました。やはり追い詰められた状況が示されていると思います。
 論戦と結んでの市民の立ち上がりは、すばらしいものでした。そして今「撤廃へ」という声が上がっている。平和と民主主義を踏みにじって、強権と戦争国家をつくるというこの法律の本質を見抜いて、「いつか来た道を許さない」という国民のエネルギーが発揮されたと思います。
 憲法98条で違憲の法律は効力を有しないと書いてあります。憲法違反の法律は一刻も早く撤廃させなければなりません。
 さて、核兵器問題をみると、国連総会第1委員会で10月21日、「核兵器の人道上の影響に関する共同声明」が125カ国連名で発表されました。核兵器は「いかなる状況のもとでもけっして再び使わないことが人類生存の利益」であり、「それを保障する唯一の道は、その全面廃絶」だと訴える内容で、大いに評価できると思います。
 この「共同声明」に対し、日本政府はこれまで3回拒否し、今回初めて賛成しましたが、2つの修正を入れたから日本の安全保障政策と矛盾しなくなったと言って賛成したのです。
 しかし、「いかなる状況の下でも…」という核心部分と、日本政府の核抑止力に依存する立場とが相いれないことは明らかです。
 同時に、日本政府も「声明」に名を連ねた以上、核兵器のない世界に向けて積極的に行動すべきです。
 被爆国が国際社会の中でこうした矛盾した態度を取り続けている根本に、戦後日本の核政策に貫かれてきた、侵略戦争の無反省と米国追随の姿勢があります。
 あのアジアへの侵略戦争と、広島、長崎の被爆、さらにビキニ被災を体験した日本国民は、核戦争阻止、核兵器廃絶、被爆者援護・連帯を求め、原水爆禁止運動を発展させてきました。
 それに対して米国が核戦略、アジア戦略のために日本をその拠点にしようとし、日本政府はそれに従って、日本を守るために核兵器は必要だと言ってきた。
 日本政府はいかに広島、長崎の惨禍、被爆者の苦しみがわかっていないか。いかにその惨禍をもたらした侵略戦争への反省がないか。そして、非核3原則は国是だと言い、核兵器を持ち込ませないと言いながら、国民を欺いて「核密約」で核積載艦船等の日本への出入り自由の体制をとり続けてきた。
 日本政府の国連の核廃絶決議への態度でも、「核の傘」を提供する米国への配慮が貫かれています。その一方で、核兵器禁止条約の交渉開始を求める決議等に対して一貫して棄権の態度をとっている。NHKの調査では、1961年から2009年まで50年間の国連総会での核軍縮諸決議への賛成は半数程度にすぎません。NHKの取材に国連大使を務めた堂ノ脇氏は米国の「核の傘」で守ってもらう以上、日本は米国の意に反する投票を行うことはできない≠ニ率直に述べています。
 こうした姿勢の根本的な転換が必要です。そのためには侵略の歴史と原爆被害に向き合って、歴史問題の逆流を一掃し、被爆者・戦争被害者に対する国の償いをしっかりやることです。
 同時に、米国追従の態度が根本から問われてきます。「核密約」は破棄する。非核3原則は厳守する。私たちは今、そのための法制化問題についても研究しているところです。
 最後に、今こそ、被爆国にふさわしく、世界とアジアの平和の国際秩序をめざす流れに合流し、その先頭に立つべきです。
 実は今年9月、志位和夫委員長とともに東南アジアを訪問し、平和の地域共同体をめざす息吹に触れてきました。そうした東南アジアの平和の流れ、平和的安全保障の考え方を北東アジアでも生かすときです。
 東南アジア訪問の直前に、国会から憲法の調査ということでドイツとチェコとイタリアに行きました。どこも「ナチスに学ぶ」どころか、逆に徹底した反省の教訓に立っている。
 まさに海外で戦争をする国か、それとも憲法9条を生かす非核・平和の日本を築くのか、この問題を今後大いに議論し、努力していきたいと思います。


安保優先の歪んだ政治を日本国憲法でただす
 小澤隆一(東京慈恵会医科大学教授)

 安保優先の政治は、いま、国家安全保障会議や特定秘密保護法を通し、これから辺野古に基地を移転させようとし、最終的には明文改憲への道筋を描こうとしています。そういう中で次の改憲プログラムとして焦点となっているのは、集団的自衛権の問題です。
 集団的自衛権とは何か。政府の定義は、「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利」です。
 この定義からわかるように、集団的自衛権とは軍事同盟のことです。人類はこの100〜200年の間、軍事同盟依存の脱却に取り組んできました。
 軍事同盟は、19世紀の帝国主義の時代には全盛でした。無差別戦争観の時代で、どういう理由で戦争するかは各国の自由でしたからどの国も不安で、軍事同盟を結んで平和を守ろうという考え方があったのです。
 しかし、第1次世界大戦はヨーロッパ全土を巻き込む全面戦争になった。それは各国が同盟関係を結んでいたからです。そこから国際社会は学んで、国際連盟を立ち上げ、パリ不戦条約を結んで、侵略戦争の違法化の道に進みます。
 ところが、満州事変のような事変は封じられない。結局、第2次世界大戦後に国際連合をつくって、軍事紛争も含む武力行使という広い概念を用いて戦争の道をふさぐに至ります。
 しかし、国連憲章51条によって集団的自衛権が盛り込まれました。この集団的自衛権については、まず、国連憲章のシステムの中では例外的な扱いだということを押さえる必要があります。原則は、国連安保理によって国際社会の平和を守る集団安全保障です。
 西崎文子さんが著書『アメリカ冷戦政策と国連』の中で、J・F・ダレスが米上院公聴会で51条について、米国は都合のいいときには国連を使うし、都合が悪ければ国連安保理で拒否権を行使して軍事同盟を使う、どちらを使うかは米国の自由だと説明したことを紹介しています。
 そういう集団的自衛権ですから、現実には、例えばアメリカのベトナム戦争やニカラグア介入、ソ連のチェコ侵入やアフガニスタン動乱など、大国による小国への軍事介入や抑圧の口実になっていきました。
 そこで、現在論じられている集団的自衛権容認論についていうと、間違いだらけの乱暴な議論です。
 集団的自衛権は国連憲章によって国家固有の権利、自然権と書かれているんだ≠ニ安倍首相らは言うわけですが、集団的自衛権は個別的自衛権と異なり、国連憲章で初めて創設された権利です。自然権とは言えません。
 集団的自衛権は、あくまでも国際法上の権利として規定されているわけで、それを国内法である憲法で禁止することは、各国が決定して構わないわけです。
 また、第1次安倍政権時代に安倍さんは、集団的自衛権は「すでに行使している」という議論を振り回していました。しかしそれについては、60年安保国会で当時の岸首相が、集団的自衛権は憲法上行使できるものとできないものがあるという議論をやったものの批判され、途中から封印した議論です。
 3番目に、集団的自衛権こそ「必要最小限」だという議論が今、北岡伸一安保法制懇座長から出てきています。集団的自衛権のほうが個別的自衛権よりも安上がりで、効率的で、必要最小限度になる≠ニいうとんでもない理屈です。
 そして、北岡氏の議論の極めつけは、集団的自衛権の行使容認は、首相が宣言するか、閣議決定でやるか、安全保障基本法か、そのどれでもよいという非常に乱暴な議論です。
 内閣法制局の60年にわたる解釈の積み重ねを、こういう形で乱暴に攻撃するのは、とんでもない話です。
 さて今、平和の探求をめざすうえで、集団的自衛権の行使を解禁してしまったら、日米安保体制を正真正銘の軍事同盟体制にすることになります。東アジアにおける平和構築はいっそう困難になるでしょう。
 まさに今、それに代わる憲法にもとづく平和の希求こそが求められています。その条件もあります。集団的自衛権の解釈変更に反対する世論は、今年8月の各紙世論調査でいずれも多数を占めています。
 今なすべきことは、集団的自衛権の封印であり、軍事同盟を解消することです。そして東南アジアに学んで北東アジア平和協力を進めていくことが大切だと思います。


核持ち込みは過去の話なのか――日米「核密約」のいま
  新原昭治(国際問題研究者)

 核密約をはじめとする一連の対米密約調査を民主党政権が行ってやがて4年。政府による初の密約調査でしたが、政府・外務省は、米国側と密室協議し、核密約に傷をつけないように幕引きしました。
 「ウィキリークス」が暴露した外交電報によると、密約調査で米国側と密室協議した外務省幹部が「日本はニュージーランドのようになりたくない」と発言。完全な非核政策はとらないと誓約していました。
 調査が終わった段階では、有識者委員会責任者の北岡伸一氏があれを密約と言っているのは日本共産党だ≠ニ発言するなど、政府・外務省も米国政府も、日本国民による日米核密約の徹底調査を恐れる姿が浮かび上がりました。
 とくに、当時の岡田克也外相の言動が目立ちます。岡田氏は、2010年3月の記者会見で、将来緊急事態の場合に非核3原則を守るかどうかは「時の政権が、政権の命運をかけて判断すること」と言いました。
 この外相発言について共同通信配信記事は、外務省高官が「応答要領を作成し事前に米側と打ち合わせた。…米政府が事前に了承していた」と語ったと報じました。驚くべきことです。
 こうした事態に、核兵器絡みの日米軍事共同体制の危険な現実が示されています。
 では、オバマ米政権の核兵器政策はどうなっているのか。
 オバマ大統領は2009年のプラハ演説で核兵器のない世界を望むと訴えましたが、その後の核戦略の実態は、その理想の表明からはかなりかけ離れたものです。オバマ政権は2010年4月に「核態勢見直し2010年版」(「2010NPR」)を出し、ことし6月にはこのNPRにもとづく「核兵器使用政策」を出しました。
 「2010NPR」の特徴は何か。
 第1に、オバマ政権の核兵器戦略の主要な部分は核兵器不拡散と核テロ防止であり、核兵器廃絶に主目標を置いていないことです。
 同時に、米国と同盟国の間のいわゆる「拡大抑止」を強調しています。
 第2に、核兵器使用や核軍縮については、ブッシュ前政権の政策方向に若干の手直しをしています。
 第3に、海外の同盟国・パートナー国との核兵器問題での軍事的提携が核戦略の重要な一環を占めている。従来の冷戦タイプ≠フやり方が踏襲されていると思います。
 米国の核兵器の海外展開という点で重要なのは、戦略核兵器の3本柱(戦略潜水艦搭載核ミサイル/大陸間弾道弾/核爆撃機)です。こういう3本柱の組み立て自体、冷戦時代の戦略と少しも変わっていません。
 この3本柱に加えて「2010NPR」が強調しているのは、戦術核兵器の継続配備です。それ以外の非戦略核兵器については、「拡大抑止」を支えるための核兵器が米国に保管され、必要になれば日本を含む同盟国に持ち込みうる体制がとられています。
 要するに、「2010NPR」とことしの「核使用政策」というのは、核軍縮で多少の手直しは見られるが、核のない世界への出口が見えない。これがこのまま進むとしたら、核兵器を使いかねない危険な使用戦略がいつまでも続くことになります。
 最後に、米国の核兵器海外展開政策の問題点です。
 一つは、日本では「核持ち込み」と言いますが、米秘密文書によると、核兵器使用のための重大な戦略の一環なのです。
 もう一つは、この核兵器の海外配備には重要な政治戦略が伴っていたことです。西ヨーロッパでは53〜54年ごろから核持ち込みが始まり、核兵器を米軍とその国の軍隊が共同管理し、いざとなったら核爆弾をその国の軍用機が落とす仕組みになっています。核兵器があなたのそばにあれば、ソ連の脅威から守ってもらえる=Bこれが政治戦略です。
 それが今、日米軍事共同作戦体制が強まる中で、日本でも今までのように核持ち込みを隠すのではなく、西ヨーロッパ型にしようとする動きがあります。
 そういう点で、やはり核抑止に対して、広島・長崎の体験を生かしたもっと効果的でわかりやすい批判、そして国民みんなが「核抑止は核兵器使用と一体ではないか」と批判していく状況をつくり出すために、知恵を集め、経験を積むべきではないでしょうか。


2015年NPT会議に向けた日本の反核運動の責務
高草木博(原水爆禁止日本協議会代表理事)

 2015年のNPT再検討会議は、4月27日から5月22日までニューヨークで開かれます。
 そこに向けて私たちが果たさなければならない役割は2つあると思います。一つは、被爆国の運動として、内外の市民社会と国際政治を担う人々に核兵器全面禁止・廃絶のための共同のたたかいを呼びかけ、実現していくことです。もう一つは、日本政府が国際平和と国民の安全に責任を果たすよう、変化を創りだすことです。
 2010年の再検討会議では、「核兵器のない世界の平和と安全を達成する」こと、そのために必要な「枠組みを確立する特別の努力を行う」こと、核兵器禁止条約の交渉を含め「国連事務総長の核兵器廃絶5項目提案に留意」することなどに合意しました。
 核兵器廃絶に立ち上がった国々は、次の再検討会議を展望して、達成した合意の履行を求めながら、その動きを妨げている障害をどう克服していくか、道筋を追求しています。
 それが、その後の「核兵器の人道的影響に関する共同声明」、「核軍縮・廃絶に関する期限なしの作業グループ」、「核軍縮・廃絶に関するハイレベル会合」などの新しいイニシアチブの核心にあります。
 その一つ、「核兵器の人道的影響に関する共同声明」はこれまで4回出されています。核兵器が人道と相容れないことを国際政治のコンセンサスとして広げていくうえで、今後の発展を注目すべきです。
 もう一つは、今年9月26日に開かれた「核軍縮・廃絶に関する国連のハイレベル会合」と、その後追い決議です。「包括的核兵器条約の早期締結のための交渉を緊急に開始する」ことを求めています。拘束力ある条約によって禁止する以外に廃絶の方法がないことは実証ずみです。「軍縮会議において」と、交渉の場を明示していることも目を開かせます。
 この2つの動きにはもう一つ顕著な特徴があります。どちらも共通して、市民社会の役割を重視し、核兵器廃絶の世論の啓発をよびかけている点です。
 国際政治の場では核兵器にしがみつく国はもはやほんの少数です。そしてそれらの国の政府も、正面切って核の独占的特権を主張することはできなくなった。そこでいま、「目的はいっしょだが、アプローチが違う。我々はステップバイステップだ」という理屈を持ち出しています。
 そこに決着をつけるのは、国際政治の場での道理を尽くした議論とともに、それぞれの国、とりわけ核保有国や同盟国での国民世論の理性的な判断です。私たちもまた2015年NPT再検討会議に向かって、核兵器の全面禁止と国際紛争の理性的平和的解決の国民世論を高めるために、内外でイニシアチブを発揮しなければなりません。
 もう一つ、今秋の国連審議で、日本政府は「核兵器の人道的影響に関する共同声明」に参加しました。しかしこれが日本政府の核兵器政策の変更を意味するものでないことは、同じ国連審議で核兵器禁止や禁止条約の交渉を提唱する決議にすべて棄権していることをみても明らかです。しかし、「共同声明」参加の一貫性を貫くなら、当然核兵器全面禁止へのアクションがあるべきです。
 2015年に向けて正面から核兵器の全面禁止を提起し、「核の傘」からの離脱、憲法9条にもとづく外交こそが「核兵器のない世界の平和と安全」のために被爆国日本が行うべき貢献であることを、国民世論の中で明確にしていくことが重要です。
 具体的行動ですが、核兵器の全面禁止・廃絶を求めて行動を起こしている圧倒的多数の政府と連帯し、これからの16ヵ月間、被災60年を迎える3・1ビキニデー、4〜5月のNPT第3回準備委員会、8月の世界大会など様々な機会に、国際的にも核兵器全面禁止・廃絶を求める共同行動を提唱、協議していきます。
 核兵器の全面禁止を世界の人々が形で表す運動形態として、「核兵器全面禁止条約の交渉開始を求める署名」が大事です。
 もう一つ、被爆写真展など被爆の実相を国民、特に若い世代に知らせ、また国際的に広めることは、特別の重みをもつ課題です。
 核兵器の廃絶は、人類が新たな文明の高みに到達することですから、すべての分野、すべての人々に視野を広げることが大事です。
 2015年NPT再検討会議に向けた取り組みとは、そうした広がりをもった運動を行うことではないかと考えています。


《特別発言》
第68回国連総会・核兵器決議の採択状況をどうみるか
藤田 俊彦(前長崎総合科学大学教授)

 第68回国連総会は、軍縮および国際安全保障を担当する第1委員会が承認した決議など53件を12月5日、すべて採択しました。半数近くが核兵器関連で、その多くが核兵器のない平和で安定した世界の実現を追求しようとするものです。
 例年、核軍備撤廃に焦点をあてた決議は4件でしたが、今年は新たに「核軍備撤廃に関するハイレベル会合の後追い」決議が登場しました。9月26日に開催された総会ハイレベル会合の成功を「後追い」しようとするものです。
 このハイレベル会合は、年来、決意表明はあるが具体的実行に乏しい核兵器関連決議の傾向を是正するべく、非同盟運動(NAM)を代表してインドネシアが第67回総会で開催の決議を提案し、採択を勝ちとった企画です。この新決議の登場の結果、5決議のうち3決議までが非同盟運動の提案によるものとなり、核兵器廃絶運動における非同盟諸国の果たす指導的な役割が注目されます。
 対照的に、新アジェンダ連合提案決議は、年来の提案国7カ国のうちスウェーデンが国内の政治事情によって離脱しました。決議内容は、核兵器使用の人道上の影響という新たな観点を加えたうえで、核軍備縮小過程の緩慢さを批判し、核兵器国に対して核軍備撤廃に向けての核軍縮努力の加速を迫るものでした。
 日本が主導した決議「核兵器の完全廃棄に向けての共同行動」については、提案国が米国を含めて102カ国とこれまでの最多を記録しました。岸田外相は、米国の核抑止戦略への依存を前提として、ステップ・バイ・ステップの核軍縮といわゆる「究極的核廃絶」の志向を強調しました。この決議の提案国30カ国のうち米国主導の軍事同盟に所属する国が17カ国です。
 しかし、全体として、国連総会の投票結果が核軍備縮小・撤廃への国際社会の志向の強まりを示していることは明らかです。「核軍備撤廃に関するハイレベル会合の後追い」は74%超と4分の3近い賛成を集めました。「国際司法裁判所の勧告的意見の後追い」決議も73%を超え、もっとも原則的な「核軍備縮小撤廃」決議も賛成3分の2の水準をクリアしました。
 非同盟諸国を代表してミャンマーが提案した決議「核軍備縮小撤廃」は、核兵器国による核軍備削減のいっそう早い進行を促し、一定の時間枠の中での核軍備廃棄を主張しています。
 非同盟のマレーシア決議「国際司法裁判所の勧告的意見の後追い」は、1996年7月の国際司法裁判所の勧告的意見の正当性を指摘し、あらためて核兵器廃絶の実行を促し、核兵器条約の締結を求めています。
 両決議とも、その原則的な立場を堅持し続けるなかで、支持率の漸増を続けています。
 新しく登場した決議「核軍備縮小撤廃に関する2013年総会ハイレベル会合の後追い」は、総会ハイレベル会合の成果をふまえて、インドネシアが再び「NAMに加入している国連加盟国を代表して」提案したもので、具体的な目標として核軍備撤廃のための「包括的条約」の締結を求めています。
 この事業を実際に進行させるため、決議は、@国連事務総長に対して、加盟国の意見集約を求め、結果を明年の第69回総会に報告するとともに、その内容を「軍縮会議」に送付することを要請し、A進捗状況を検討するため「核軍備縮小撤廃に関する国連ハイレベル国際会議を2018年末までに開催することを決定する」としました。
 このほか、決議はB「核兵器が突き付ける人道にたいする脅威および核兵器の完全な廃棄の必要性」ついて人びとの認識を広げるため、9月26日を「国際核兵器廃絶デー」とすることを宣言。C事務総長に対しては、「国際核兵器廃絶デー」を世界に周知させる必要な手配を要請しています。決議はまたD「加盟国、国連システム、および…市民社会に対して」、人々の意識を高める活動を通じて、「国際核兵器廃絶デー」を祝いかつ広めることを呼びかけました。しかしこの決議に核兵器国米英仏ロ4カ国が反対、その実践について楽観は許されません。
 米英仏3カ国は、ステップ・バイ・ステップ過程を掲げ、「そこ(核軍備縮小撤廃)には近道がない」とまで断言しました。主な核兵器国が、現在、なんら有効な対案を持ち合わせていないことを示しています。
 日本は、核軍備縮小撤廃5決議のうち、新アジェンダ連合決議と日本決議に賛成票を投じる一方、非同盟諸国提案の3決議にすべて棄権しました。


原爆被害の実態にそった被爆行政の抜本的改善を ふたたび被爆者をつくるな
児玉 三智子(日本原水爆被害者団体協議会事務局次長)

 1945年8月に投下された原子爆弾により、広島と長崎は一瞬にして人の世と思えない地獄の街となり、人々は無差別に無残に殺されました。かろうじて生きのびた被爆者は、廃墟の中、病気と貧困、差別、偏見、心のいたみと生涯いやすことのできない傷跡と後遺症を抱えながらの生活を強いられてきました。
 米陸軍調査団のトーマス・F・ファーレルは同年9月6日、海外特派員に「広島・長崎では原爆症で死ぬべきものは死んでしまい、9月上旬現在において、原爆放射能のために苦しんでいるものは皆無である」と言明しました。そして原爆に関する報道管制を行い原爆被害を隠蔽しました。
 日本政府も原爆被害を隠蔽し、被爆者を放置しました。その間、多くの被爆者が亡くなっていきました。
 1955年8月、第1回原水爆禁止世界大会が広島で開かれ、参加者は被爆者の涙の訴えに「原水爆が禁止されてこそ真に被爆者を救うことができる」と強く感動し、被爆者も励まされました。翌年、長崎で開かれた第2回世界大会の2日目(8月10日)に原水爆被害者全国大会が開催され、全国各地から参集した被爆者によって日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が結成されました。
 日本被団協が最初にあげた声は、結成大会宣言「世界への挨拶」でした。「自らを救うとともに人類の危機を救う」と誓い合い「ふたたび被爆者をつくるな」「核兵器なくせ」「原爆被害への国家補償を」の要求をかかげました。
 2015年は被爆70年、2016年は日本被団協結成60年です。しかし、最大の犠牲者である死亡者に対する補償は何一つ実現していません。実現を阻んでいるのは、世界で唯一の戦争被爆国の日本政府です。
 日本被団協は結成から40年近く、「基本要求」を掲げ、国家補償の原爆被害者援護法の制定を求めて運動を広げ、94年12月には「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」が制定されました。しかし、この現行法は、原爆被害を放射線被害に限定し、原爆被害を狭く、小さく、軽く見るものでした。国家補償を拒否し、核兵器廃絶も究極のかなたに押しやるものでした。
 私たちは、今日までに被爆者の医療や健康管理手当てなどの施策を大きく改善させました。しかし、原爆の被害を小さく見せようとする政府は原爆症認定制度を改善しませんでした。
 原爆症の認定とは、国が「あなたの病気は原爆によるものです」と認める制度です。厚労省は被爆者の原爆症認定申請のほとんどを「放射線起因性がない」「医療を要する状態ではない」などと切り捨て、被爆者の0・8%しか認定しない行政を続けてきました。
 被爆者は2003年4月から、集団で認定却下処分の取り消しを求める裁判を起こし、全国17地裁で原告306人が8年間たたかい、29連勝を勝ち取りました。2009年8月6日には、当時の麻生総理大臣・自民党総裁と日本被団協代表との間で「原爆症認定集団訴訟の終結に関する基本方針に係る確認書」が交わされました。
 しかしその後3年半、「確認書」で合意された厚生労働大臣と日本被団協・弁護団の定期協議は、「今後、訴訟の場で争う必要のないようこの定期協議の場を通じて解決を図る」という趣旨が生かされず、きわめて形式的なもので制度改正につながっていません。
 制度改正を趣旨とする「原爆症認定制度の在り方に関する検討会」は、2010年12月に第1回が開かれてから3年の間、堂々巡りの議論が続きました。私たちは12年3月の第10回検討会に「原爆症認定制度の在り方に関する日本被団協の提言」を提出。しかし、検討会は日本被団協の提言を取り入れず、現状からの後退さえ危惧させる「報告書」をまとめました。
 委員の一人として議論に参加してきた日本被団協の田中事務局長は検討会後の記者会見で「極めて遺憾」と述べ、引き続き厚労省に認定拡大などを求めていくことを表明しました。
 被爆者が居なくなれば原爆被害はないものとされる恐れがあります。そのようなことは絶対に許してはなりません。世代を超えて受け継いでくださることを心から願っています。
 日本国憲法が生かされる日本、核兵器も戦争もない世界を求めて、被爆者は命ある限り訴え、たたかい続けます。