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非核の政府を求める会
  
シンポ「核兵器禁止条約交渉の決断か、核抑止への固執か
    ――日本政府の核政策を問う」 
ひらく
2012年12月22日

 非核の政府を求める会は2012年12月22日、東京都内でシンポジウム「核兵器禁止条約交渉の決断か、核抑止への固執か――日本政府の核政策を問う」を開きました。核兵器は非人道的であり非合法化すべきだとの世界の流れをふまえて、米国の「核の傘」に依存する日本政府の核政策転換の展望を探ろうと開いたもの。
 パネリストは黒澤満・大阪女学院大学教授、新原昭治・国際問題研究者、児玉三智子・日本原水爆被害者団体協議会事務局次長、土田弥生・原水爆禁止日本協議会事務局次長の4氏。藤田俊彦・前長崎総合科学大学教授、増田善信・気象学者の両氏が特別発言を行ないました。
 同シンポジウムでのパネリスト各氏の報告(要旨)を次に紹介します。(文責・編集部)


「核兵器なき世界」の流れの今と明日

黒澤 満(大阪女学院大学教授)

 最初に、最近のバッドニュースは自民党政権の誕生です。グッドニュースは、米国務長官にジョン・ケリー民主党上院議員が決まったこと。核軍縮に関してはクリントン前国務長官より熱心だと思います。
 今の核兵器廃絶に向けての流れには、3つのアプローチがあります。
 一つは、核兵器禁止条約をどう追求していくか。まず、国際司法裁判所が1996年に「NPT第6条は交渉を締結する義務がある」という勧告的意見を出し、それを引き継いでマレーシアなどが国連総会に核兵器禁止条約の交渉を開始しようというフォローアップ決議を出している。98年に新アジェンダ連合の提案があり、2000年NPT再検討会議で「明確な約束」として入れられた。そして07年、「モデル核兵器禁止条約改訂版」がIALANAなどから出される。
 核兵器禁止条約の流れのきっかけとなっているのが08年のパン・キムン国連事務総長の「5項目提案」で、非同盟諸国などもそういう提案を出しています。2010年NPT再検討会議で、「すべての国は核兵器のない世界を達成し維持するために必要な枠組みを設立する特別の努力をする必要がある」、だから「核兵器禁止条約または個別で相互に補強する文書の枠組みの合意に関する交渉を提案している国連事務総長の「5項目提案」に注目する」ということが最終文書に入った。「核兵器禁止条約」がNPT最終文書に入ったのは初めてで、大きな進展ではなかったか。
 では、核兵器禁止条約に対する各国の態度はどうか。「ICAN」の分析では賛成国146、中立22、反対26。中国、インド、パキスタン、北朝鮮も賛成です。反対は、米・ロ・英・仏・イスラエルと多くのNATO諸国。日本やNATO諸国をどう変えさせるかという問題があります。
 2番目は、核軍縮への人道的アプローチです。2010年NPT会議でスイスは、核軍縮の議論に人道的側面を持ち込むべきだ、核兵器禁止条約で違法化すべきだとした。英・仏などは反対したが、欧州の加盟国の多くと中南米は賛成して、最終文書では、核兵器のいかなる使用からも生じる壊滅的な人道的影響に深い懸念を表明し、国際人道法を常に遵守する必要性を確認する、となりました。これは、96年のICJ勧告的意見の「一般的に違反」=例外があるという考え方から「いかなる使用も」と例外をなくす方向に進んでいる。
 もう一つ重要なことは、赤十字国際委員会がここ数年、ケレンベルガー総裁の「核兵器を禁止・完全廃棄する条約を交渉すべき」演説、国際赤十字・赤新月運動者代表者会議の「核兵器廃絶に向かって進む」決議等、非常に核軍縮に関心を持ってきていることです。赤十字は戦争被害者を助けるが、核兵器を使われたら助けようがないから使用を防止する緊急性があるという考え方です。
 そして12年5月、2015年NPT再検討会議第1回準備委員会で人道的な側面という新しい考え方で「16ヵ国共同声明」が提唱されましたが、日本は不参加でした。ことしの国連総会において「34ヵ国共同声明」として読みあげられました。
 3番目のアプローチは、核兵器の非正当化という考え方で、核不拡散・核軍縮国際委員会(ICNND)は、核兵器を廃絶するにはその戦略的地位を不必要で望ましくないものに非正当化することが必要だとしています。モントレー国際大学のジェームズ・マーティン不拡散研究所報告書(10年)は、非正当化とは価値の剥奪のプロセスとし、核兵器による抑止の正当性というのは冷戦時代の心理ゲームであって、今は核抑止から脱却すべきだという考えです。
 今後の課題は何か。今までの核軍縮アプローチはステップ・バイ・ステップだけど、これを包括的アプローチに変える必要がある。核兵器禁止条約は最終目的を確定しています。だから、それに至るプロセスの検討――条約交渉の開始、協議のためにどの程度の信頼醸成がいるか等々の検討が必要ではないか。人道的な核軍縮という新たなアプローチは、戦略的安定性からのアプローチでなく非人道性の顧慮が中心になります。3番目の核兵器の非正当化に関しては、核兵器の存在意義を疑問視して、核兵器は役に立たない、違法だし非道徳だということを強調していく必要がある。
 最後に、オバマは「核態勢見直し」(NPR)の履行ガイドラインを新年に発表するのではないかと言われています。そこで今後の米国のNPRを具体化した政策が出てくると私は予測しています。問題はプラハ演説4周年の2013年4月5日に何が起こるか。オバマはそこで、すごいことをするのではないかという噂が流れています。


異常なまでの「核の傘」依存――日本が問われているもの

新原 昭治(国際問題研究者)

 日本は、核兵器を廃絶せよと世界の先頭に立って訴える責任があります。しかし実際には、被爆国の責任に自ら墨を塗るような行為が繰り返されています。今秋、国連加盟34ヵ国+バチカンが共同声明を出して、核兵器の非人道性から非合法化を求めたのに対し、日本政府は参加を拒否して唖然とさせました。
 一体何がその根源にあるのか。
 日本政府は従来から、国民の声、広島・長崎の被爆者の訴えを聞かず、別の動機にもとづく深刻な歪みを抱えてきました。日米安保条約にもとづく米核戦略への追随協力が大きな特徴です。米国の核兵器の海外展開態勢と、核持ち込みを拒否しない日本政府の関連に、問題があります。
 「核の傘」の下で日本を守るかのように体裁を繕いながら、その実、わが国への米核戦力の展開を許容するシステムが現に生き続けています。今日の米国のアジア方面での核戦力展開は航空機や潜水艦などによる随時展開が特徴で、わが国への有事の核持ち込みになりうるという意味で私は「拒否しない姿勢と対応」と言っています。
 このことは、民主党政権が、核密約調査によっても、米国の核持ち込み許容の仕組みにいかなる変更も加えなかった事実からも明白です。調査を指揮した岡田元外相は、外相ポストから離れた後、様々な場で、「緊急事態の際、日本に核を持ち込まない限り日本の安全を守れないという事態があったときどう判断するか。それは時の政権が決定すること」だと述べています。「持ち込ませず」はもはや国是ではないという立場です。
 岡田氏は昨年発行の雑誌『外交』で、核密約調査の全過程で米国と緊密に協議したことを認め、それは「非核3原則」との関係で日本の意図が誤解されないようにするためだったとも述べています。その意味は、「持ち込ませず」の原則を実際に貫くとは限らないという日本の意思を米国に知らしめたということです。
 実際、「ウィキリークス」が暴露した09年11月27日東京発の米外交電によると、駐日米公使が外務省北米局長に対して、核兵器の所在を否定も肯定もしないという米国の基本政策(NCND政策)の堅持を要請しています。
 「NCND政策」とは、日本を含む外国への核持ち込みの権利を確保するために、米政府が58年以来取り続けている、「核兵器海外配備レジーム」の柱です。74年の米上院外交委員会・聴聞会で2人の元政府要人が、米国の核兵器持ち込みに反対する海外国民の行動を予防する目的で、関係情報を知らせることを封じ込めるために「NCND政策」を作ったと証言しています。
 「NCND政策」は、今も続いています。米国の核兵器の海外配備は、91年に当時の大統領の父ブッシュが海外から戦術核兵器を引き揚げたときになくなったわけではない。ブッシュ声明の直後に、米政府高官が相次いで公式会見をやって「海外から米本国に戦術核兵器を引き揚げても、有事に必要となれば再び配備する。そのために「NCND政策」は今後も続ける」と言っています。
 したがって日本政府には「一体どうなっているのか」と正すべき責任があります。実際、フィリピンなどはこれを正したし、日本でも神戸では、非核条例にもとづいて神戸港に入港する外国艦船に対する積荷証明を請求しています。しかし日本政府は、「NCND政策」を受け入れ、核密約も続けて、安保条約のもとで核持ち込み容認のレジームを温存させている。10年の米「核態勢見直し」は、アジアへの有事核配備がありうることを展望しています。日本がこれを拒否しない限り、「NCND政策」のもとで核をいつ持ち込まれるかわからないのです。
 根本的な問題として、国際法学者の故藤田久一さんは、「核抑止の機能は軍事同盟条約体制の中で保障される」と指摘しています。ここに日本の今の問題の急所があります。そもそも、第2次世界大戦後の世界に軍事同盟が存在してること自体、歴史逆行です。
 その意味で日米安保関係には、歴史の流れに背く不道徳性が二重に刻印されていると私は見ます。一つは、「集団的自衛権」をテコにした旧時代の軍事同盟体制への先祖返り。もう一つは、米核戦略への協力のために全人類的な核兵器廃絶努力に逆らう核兵器固執の流れです。
 「35ヵ国共同声明」への日本の参加拒否は、この2つの不道徳性の合併症にほかなりません。
 日本政府が被爆国としての責任を自覚し、核兵器廃絶の先頭に立つ日を一日も早く実現させるために、私たちは必要な批判や、世論の啓発をさらに強めなくてはならないと思います。


被爆者は核兵器廃絶と原爆被害の非人道性を世界に訴える

児玉 美智子(日本原水爆被害者団体協議会事務局次長)

 再び被爆者をつくるなと訴え続けてきた広島、長崎の被爆者は、福島原発事故によって核被害者がつくられたことに悲しみと憤りでいっぱいです。
 1945年8月6日朝8時15分、私は広島の国民学校の校舎の中で被爆しました。突然のもの凄い光、あっという間に校舎の天井の梁が落ち、窓ガラスの破片がバーッと飛び散り、私にも突き刺さりました。
 私は、この日、命を奪われていたはずでした。原爆が投下される少し前まで、爆心地から350メートルの国民学校で学んでいたからです。その学校の児童生徒約400人は一瞬のうちに焼き殺され、骨も残らなかったと聞きました。私の家は、建物疎開を強いられて爆心地から3・5キロのところに転居し、学校も転校したために、今こうして生かされています。
 被災した親戚の人や前の自宅の近所の人たちが多数、私の家に助けを求めて逃げてきました。その中に、私の大好きな従姉がいました。顔半分、背中、足首まで焼けただれた体は、化膿が広がり、体液がジュグジュグと出てきます。私にはその体液を拭きウジを取ってやるぐらいの手当しかできませんでした。お姉ちゃんは3日目の朝に亡くなりました。14歳でした。
 4年生だった従兄も私の家に助けを求めてきました。お兄ちゃんはある日、耳や鼻から血を流し、口から血の塊のようなものを吐き出して亡くなりました。後で放射能の影響だとわかりました。私は、お兄ちゃんのように血を吐いて死ぬのではないかと怖くてたまりませんでした。
 その後も原爆は、容赦なく私を苦しめ続けました。就職のとき、結婚のとき、被爆者であるということだけで偏見、差別を受けました。原爆は、人間として当たり前の日常生活を根こそぎ奪い取ったのです。
 今、私が一番つらいのは娘のことです。娘は突然、がんに襲われました。大手術をし、治療とリハビリを続けていましたが、発症から4ヵ月で逝ってしまいました。放射能の影響が出ないか迷い、決断して出産した娘を亡くして1年10ヵ月、まだ悲しみと悔しさの毎日です。
 被爆者の子ががんにかかりやすいかどうかは科学的には証明されていません。しかし、放射線が遺伝子に影響を与えることは明らかで、原爆は被爆者を命絶えるまで苦しめ続けます。このような体験は世界の人々の上に繰り返させてはならない。被爆者はその思いで被爆の実相を伝えていますが、もし、核兵器が再び使用されることがあれば、その被害はどれほど甚大なものとなるか。
 日本被団協は結成以来56年、再び被爆者をつくるな、今すぐ核兵器を廃絶せよと訴え続けて、国の内外で被爆の証言を続けてきました。しかし、日本政府は原爆被害を矮小化し、原爆被害の実態に向き合おうとせず、核兵器廃絶の先頭に立とうとはしません。被爆者はこれに怒りながら、長年粘り強く運動し、生存被爆者には社会保障的援助ができました。
 今、被爆者の胸に重い、ある思いがあります。それは、原爆が落とされたあと、日本被団協が結成され原爆医療法が施行されるまでの12年間放置され、亡くなった被爆者のことです。国は、この死没者に何の償いもしていません。私たちは今、あらためて現行法改正要求運動を進めています。
 私たち被爆者は、2005年、2010年のNPT再検討会議で、国連ロビーで原爆展を行ない、ニューヨーク近郊の学校、教会などでも精力的に被爆体験を証言しました。各国政府代表部にも要請しました。
 被爆者運動は核兵器廃絶の世論と行動を強める原動力となり、核戦争の抑止力になっていると、私たちは自負しています。3月にオスロで開かれる人道的側面の国際会議に参加して非人道的な被爆の実相を訴える準備を進めています。
 被爆者は日本政府の「核の傘」依存政策を許すことはできません。日本政府は、「傘の核」から抜け出し、被爆国として核兵器廃絶に向けて世界をリードすべきです。今回の国連総会で、「34ヵ国共同声明」への賛同を日本政府が拒否したことは腹立たしい思いです。
 被爆者の証言活動はますます重要になっています。被爆体験を繰り返し語り伝えるのは、過去を語るためではなく、未来を語っているのです。また、それを受け継ぐ若い方たちに期待したいと思います。
 私の中で戦争はまだ終わっていません。国連総会や2015年NPT再検討会議で大きな成果が得られるよう、そして核廃絶への道筋が見えるような前進を期待し、被爆の実相を語り伝えていきます


核兵器全面禁止へ――日本の反核運動の役割

土田 弥生(原水爆禁止日本協議会事務局次長)

 私は、10月に日本原水協として国連総会第1委員会を傍聴し、各国政府への要請活動などを行いました。
 私たちは、2010年NPT再検討会議の成果はとても大事だと思っています。「核兵器のない世界の平和と安全を達成する」ことを目標として合意し、そのための枠組みづくりへの努力をすべての国に義務づけ、行動計画も確認した。やはりこれを実行させていくことが重要です。
 しかしそれから2年8ヵ月、合意は実行されていません。各国大使から??核軍縮の展望は暗い?∞?スローすぎる?≠ネどの声が出ました。同時にNPT合意を実行させるために国連と圧倒的多数の国々が懸命な努力をしていました。
 今回、私たちは、約210万の「核兵器全面禁止アピール」署名を国連のアンジェラ・ケイン上級代表に届けました。そのとき私が彼女の第1委員会での発言について「すごく強い発言でしたね」と言うと、ケインさんは「別のところでもっと強い発言をした」。彼女の核軍縮への強い決意を感じました。
 第1委員会の決議、議論について注目しているのは次の4つです。
 一つは、核兵器全面禁止の交渉開始を呼びかけたマレーシア決議の賛成が、昨年の130から135に伸びたことです。その特徴は核保有国中、中国、インド、パキスタン、北朝鮮が賛成したこと。米ロ英仏の4核保有国が決意しさえすれば、交渉開始の条件は広がるということです。
 二つ目は、新アジェンダ連合決議がNPT合意の全面履行を呼びかけていること。賛成175は、圧倒的多数の国が核兵器なき世界を望んでいる証拠です。声明文には「明確な基準と期限をもって核兵器廃絶の法的拘束力ある枠組みのための行動を起こす」とあります。新アジェンダ連合がこんな踏みこんだ発言をしたのは初めてではないか。
 三つ目には、核軍縮に人道的側面を与えた34ヵ国とバチカン市国の共同声明の広がりです。これは日本の反核運動と被爆者が一貫して訴えてきた立場です。
 四つ目は、メキシコ、オーストラリア、ノルウェーが主導する多国間核軍縮交渉促進決議で、賛成147です。特徴は、核兵器禁止条約の交渉を含めている点と、NGOの参加に門戸を開いている点です。
 まとめると、包括的な核兵器禁止条約を中心とした方向でいくか、ステップ・バイ・ステップでいくかが大きな争点だと感じました。第1委員会での米国代表の発言は??オバマ大統領が言ったことを進めている。しかし私たちはステップ・バイ・ステップで行く?=A英国軍縮大使も??あなたたちと目標は同じ。しかしやり方、進む道は違う?≠ニいうものです。
 日本原水協は、声明を持っていき、核兵器全面禁止のコンセンサスをつくるよう要請しました。スイスは「人道法で安全保障政策から核兵器を分離させようとしている、核兵器禁止条約はまだ先の課題」という反応でした。ドゥアルテ前国連上級代表からは、こういう決議案が多くの賛同を得るようになれば重要な価値がある、と励まされました。核兵器なき世界への具体化となるとまだ距離があるというのが実感です。
 もう一つ、強く感じたことは、私たちが要請した各国大使のほとんどが、今やろうとしていることは政府だけではできない、それを支える世論や行動が必要だと強調したことです。とくに核保有国と拡大抑止依存の国々での運動が決定的に大事だと思いました。
 具体的に何をするか。
 核抑止力に依存する核保有国や拡大抑止に依存する国々の抵抗がいま、障害なので、やはり抑止力打破が一番大事だと思います。
 来年、私たちが力を入れたいのは、日本を「非核、憲法9条の輝く国」にする活動です。総選挙では自民・公明政権が復活し、核抑止力賛成派が多数を占めました。日本で政府を変えることは重要な課題です。
 そのためにも私たちは、「核兵器全面禁止アピール」署名をもっと大規模に繰り広げる必要があります。また「原爆展」の活動を署名と併せて全国で繰り広げることが大事です。非核日本宣言運動も展開したい。
 さらに、2013年3・1ビキニデーを、憲法9条改悪に反対する人たちも含めて、すべての平和勢力を結集する場にしたい。
 最後に、NGO、運動の役割についてです。国連総会第1委員会を傍聴したとき、「廃絶2000」のリーダーは、「私たちは来年はNPTは重視しない」と言いました。欧州諸国の運動が核兵器禁止に向けて動かなければNATO政府の政策を変えることができないわけですが、運動の高まりがない状況です。
 国際会議に出て行くと、若い平和活動家の中には「原爆展」で何を展示するか、原爆被害がどんなものか知らない人たちが少なくない。被爆国として「ヒロシマ・ナガサキ」を知らせる活動を、国際的にももっと大きく展開する必要があると痛感しています。


アメリカ大統領選挙の結果と核政策の行方

藤田 俊彦(前長崎総合科学大学教授)

 現在、地球上には約1万9000発の核兵器が存在しています。そのうちの95%が米・ロの保有です。
 この12月3日のオバマ演説は、11月の選挙で勝ったあと初めての核兵器に関する所信表明でした。演説の舞台は、ナン=ルーガー「協調的脅威削減プログラム」の20周年記念シンポジウムでした。
 オバマは、今回の演説の中で、自らの就任直後のプラハにおける「核兵器なき世界の平和と安全を追求する」とした公約が、ナン=ルーガー計画にもとづいていたと述懐しています。オバマが強調したかったことの一つは、この間の核軍縮が民主党のナン元上院議員と共和党のルーガー上院議員の共同の努力で策定された計画にもとづく民主党大統領2人と共和党大統領2人の下での達成であったという事実です。オバマ演説は、大統領選挙で傷んだ両党協力関係を、核分野において補修したいとする願いを込めたものでした。
 党内右派の勢力拡大が顕著な共和党の現状下、米国の国際公約である包括的核実験禁止条約の批准が上院で棚晒しにされたまま。オバマ大統領は、政権第2期に入るにあたって、こうした両党関係を核兵器政策の分野で修復する願望を持っていたのです。
 オバマ大統領が同シンポジウムに臨んだもう一つの動機は、ロシアとの関係の促進という国際的な要因への配慮です。オバマ演説で米ロ関係を「アップグレード」しようと呼びかけたのは、米ロ間の協調的な核軍縮交渉の再開を求める政治的発言でした。
 ただし、今回の演説は、核軍備撤廃という目標についてはプラハ演説への言及以外、触れることを避けて、もっぱら漸進的かつ長期的な核軍備の縮小を含意させていました。
 次に、オバマ国防大学演説と同じ12月3日、国連総会では、一連の核兵器関連決議の採択が行なわれました。核兵器廃絶の達成を求める一連の国連決議の投票結果には、ポジティブな変化はけっして多くなかったと言えます。
 これらの核軍備縮小撤廃決議について、米英仏ロは従来と同様、ネガティブな足並みを揃えていました。3つの主要決議、すなわち非同盟、新アジェンダ連合、マレーシア提案の決議に米国はすべて反対しました。米国支配層の中での牢固とした核軍備維持姿勢です。オバマ第2期政権も、その呪縛から抜け出す方向性を獲得するのは容易ではありません。ただし、米国とその傘下の同盟国の間に究極的な目標としての核兵器廃絶が浸透しつつあることも見落とせません。
 今回の国連総会は、新たな注目すべき展開を見せました。とりわけ、核軍備縮小撤廃の多国間交渉に向けて無期限の作業部会を設置する決議が採択されたことは重要です。国連加盟国の圧倒的多数がこの決議に賛成しました。米英仏ロの4ヵ国は反対し、中国が棄権した事実は重大です。
 今回の決議は、核兵器廃絶の決議・決定を積み重ねてきたものの、それを実行に移す実際措置について多国間合意をまとめられない状態を解消すべく、核軍備縮小撤廃の多国間交渉を開始するための準備に取りかかることを決定しました。
 この決議を共同提案した13ヵ国の中には米国の同盟国・友好国がいくつも入っています。ただし、米英仏ロの反対、中国の棄権という投票結果の後だけに、この作業部会が順調に発足できるか懸念されます。なお、日本はこの決議に、多国間交渉への及び腰の説明を付けて賛成しました。
 では、オバマ核政策の行方はどうなるのか。
 国連総会におけるマレーシア決議等の核軍備撤廃諸決議は、米国がプラハ演説に立ち返り、ノーベル平和賞授与の意図する世界的な願望に応え、核兵器廃絶に向けて主導的措置をとることを求めています。
 しかし、米国は国連総会で核兵器条約の締結などを求める決議に反対し、核をめぐるデッドロック解消をめざす作業部会設置決議にも反対しました。オバマは、プラハ公約に接近するためには、こうした不整合状態を乗り越えねばなりませんが、彼の政策のプラグマチックな側面の実行を促すことになりそうです。
 唯一の被爆国日本の市民社会としては、核兵器廃絶に向けて各国政府・民間団体に人道主義的な立場から核兵器廃絶の必要性・緊迫性を引き続き強く訴えていく必要があります。


「黒い雨」調査にみる日本政府の被曝行政

増田 善信(気象学者・「黒い雨」研究者)

 結論を先に述べると、この「黒い雨」地域を拡大してほしいという被爆者の要求は、政府からまったく無視されています。その背景に内部被曝を軽視する動きがあります。それは、米国の核兵器の先制使用戦略と関連して、実際に核兵器を使用する場合、残留放射能による内部被曝の問題が大きな障害になるからです。
 「黒い雨」というとき、本来は塵を含めて放射性降下物全体を考える必要があります。「黒い雨」には、原爆の爆発で吹き上げられた放射性降下物が圏界面に沿って円形に広がっていく雨と、火災を伴って生じる煤を含んだ黒い雨の2種類あります。
 雨の広がりは、2008年の広島市の健康調査を利用してグラフィックで検討したものでは直径16キロになっていますが、これは主に爆発から45分以後の松山の沖で米軍が撮影した写真だけで検討されているので、実際はもっと広い。私が調査した江田島にも実際には「黒い雨」が降ったことが報告されています。長崎では、雲仙測候所の人たちが見取り図を作っていて、直径約56キロでした。
 資料の図1は、宇田道隆氏が調査した「黒い雨」の雨域図です。実はこれが、原爆症認定の??みなし地域?≠ニされています。宇田氏もこの雨域は不完全だと言っていますが、政府はこれ以外「黒い雨」地域として認めません。
 私は85年の原水爆禁止世界大会への参加を機に調査するようになり、被爆者の手記を読むことから始めて雨域図を作り、87年5月に気象学会で発表しました。ところが「まだ違う」という意見がたくさん寄せられたので、「黒い雨の会」の村上事務局長に頼んで現地調査を行ないました。同年、県境まで調査に行って作った雨域図は、大雨域で大変いびつな格好をしています。激しい雨の場合、不規則に降るのです。私はこの雨域図を気象学会の機関誌『天気』に発表しました。
 第3図と第4図は、「黒い雨」調査の精度を示したもので、図3が「宇田雨域」、図4が私の雨域図で、2つを見るとまったく違っている。私の図は、爆心地を包んで馬蹄形のような雨の降り方です。きのこ雲の柱になる中心付近は非常に強い上昇気流があるためにほとんど雨が降らない。その周辺に非常に強い雨が降るという状況が出ています。
 実は80年に厚生省がつくった原爆被爆者対策基本問題懇談会(基本懇)が、「受忍論」とともに、「黒い雨」地域の拡大には「科学的・合理的な根拠」が必要だとする答申を行なっていて、これがその後、地域拡大をやめさせる役割を果たしたのです。
 私の調査結果が89年に『天気』に発表されると問題になり、当時の中曽根首相も??増田雨域が科学的・合理的根拠があるのなら地域拡大はやぶさかではない?≠ニ発言しました。しかし、地域拡大にはなりませんでした。
 第7図の右図は、2008年に広島市が行なったPTSDに関する調査の中で、「黒い雨」の降った時間が明確な人だけを取り上げて、広島大学の大瀧教授が作られた雨域です。データが多いところで私の雨域とほぼ一致しています。
 これがまた問題になり、「原爆体験者等健康意識調査報告書等に関する検討会」が2010年12月に開かれました。そこではほとんど実体的な話がないまま2つの結論を出しました。一つは、大瀧教授の雨域図は採用できないとする外部被曝の過小評価。もう一つは、今のところ放射能の測定値がほとんどないので内部被曝について十分なことは言えないとして内部被曝問題に立ち入らなかったことです。
 実は昨夜、澤田昭二・名古屋大学名誉教授から、放射能影響研究所(放影研)の12月8日の報告書が寄せられました。内部被曝も「黒い雨」地域の外部被曝も直接被曝の誤差の範囲だなどと言っています。
 図8は、澤田先生が急性症状から被曝線量を推定した図で、原爆によってまき散らされた放射性降下物による影響は無視できないことがわかります。
 日本政府は、原爆症認定集団訴訟の裁判で27連敗しても内部被曝を認めようとせず、「黒い雨」に象徴される放射性降下物に汚染された地域を被爆地として認定することを拒否し続けています。
 その意味でも、この広島・長崎の「黒い雨」については、さらに調査を進めるとともに、その成果をまず原発事故で汚染された福島で生かす必要があるし、同時に、福島の成果も広島・長崎の被爆者に活用することが求められます。

  (パネリストの報告全文は、『報告集』に収録しています)