核兵器も放射線被害もない日本へ
「“核兵器と原発”を考えるつどい」ひらく
|
| 非核政府の会 2012年3月24日 |
|
原発再稼働の動きを強める野田内閣の姿勢に国民の不安が強まるなか、非核の政府を求める会は3月24日、「“核兵器と原発”を考えるつどい」を東京都内で開き、中央団体、各都府県の会代表ら100人余が参加しました。福島原発事故1年・同会結成25周年を記念して企画したもの。
総合研究大学院大学理事・教授の池内了さん、福島在住のフリージャーナリスト藍原寛子さん、国際問題研究者の新原昭治さんの3氏が講演しました。
池内さんは、「原発から自然エネルギーへ――人類の明日」と題して講演。原発から自然エネルギーに切り替えても、コスト的に十分成り立つことを解明。世界最悪レベルの原発事故を起こしたいま、ウラン、石油、石炭など有限の地下資源から太陽光・熱、水力、風力、地熱など無限の地上資源に切り替える「文明の転換期」を迎えていると強調。これまでの大型化・集中化・一様化の技術を、地上資源に依拠して小型化・分散化・多様化の技術に転換する方向で生き方や暮らしを考えていこうと呼びかけました。
藍原さんは、「くらし・営業を壊し、大地も海も奪った放射能」をテーマに、福島現地の生々しい写真を多数を紹介しながら講演。避難所での困難な生活、避難もできず孤立する高齢者、障害者の現実、校庭や山林の放射能除染の実態などを取材にもとづいてリアルに紹介するとともに、不足する放射線測定器の製作を始めた地元の中小企業、校庭除染を市に迫った母親たち、乳児用ミルクのセシウム汚染を検出しメーカーに記者発表させたお寺の住職など、困難にたちむかう住民の奮闘ぶりを力強く報告しました。
「『原子力平和利用』の軌跡とアイゼンハワーの素顔」と題して講演した新原さんは、国際的な原発推進のきっかけとなったアイゼンハワーの「アトムズ・フォー・ピース」演説は、もともと新たな核兵器戦略の強化を重要な狙いの一つとしていたことを詳しく解明。日本の「核基地」化を狙うアメリカが、ビキニ事件を機に高揚した日本の原水爆禁止世論への対策として最大限利用しようとしたのが「原子力の平和利用」戦略だと指摘。日本への原発導入は、安全性に欠陥があっても、それを無視して推進する必然があったと日米政府を告発しました。
藤田俊彦・前長崎総合科学大学教授が開会あいさつを、田中則夫・龍谷大学副学長・教授が閉会あいさつを行ないました。
◇ ◇ ◇
【講師3氏の講演(要旨)】(文責・編集部)
原発から自然エネルギーへ――人類の明日――
池内 了(総合研究大学院大学理事・教授)
3・11福島原発事故から丸1年以上が経ち、政府や民間の事故調査・検証委員会の報告が出始めています。しかしどこに根本原因があったかを明らかにするステップが欠けています。
原発の安全を監視するはずの安全・保安院の安易な態度、原子力安全委員会の態度も問題になります。原子力の専門家が実は現場をよく知らないこと、原発の現場に状況をきちんと把握できる人間がいないこと、政府、電力会社、安全委員会の責任感の欠如も見えてきました。
ではこの決着をどうつけるのか。基本的には道義責任、あるいは職業倫理上の責任をどうとらえていくかが重要だと思います。
それにしても、専門家の傲慢さには、皆さんお気づきと思います。今回の原発事故の過程で、「格納容器は絶対壊れない」と専門家が言っていました。科学・技術に「絶対」ということはありえません。必ず、ある種の妥協、想定、割り切りでどこかで手を打って実行します。そうすると、建物は限度を設けないと建てられないので、耐震基準などがありますが、原発の場合、果たしてそうした割り切りが許されるのかが問題です。
「多重防護をしているので安全」とも言われました。しかし、人間のミスやエラーは決定的に重要なことですが、これは確率論で計算できないのです。
そうしたことが言われましたが、すべて、「安全」だと誤認してきたことが決定的でした。
その一例が、原発の事故確率です。かつては、原発の過酷事故確率は10万年に1回と言われていました。しかし、最悪のレベル7の事故がすでにチェルノブイリと福島で2回も起きて、最近、計算し直して500年に1回ということになりました。日本には原発が約50基あります。50基あると10年に1回起こすということです。現実に30年間に3基が壊れた。10年に1回の確率通りに起こっているわけです。
実際に考えてみるべきこととして、2010年の総電力使用量は9600億kwh(キロワットアワー)で、そのうち火力が59%、原子力が31%でした。実際の稼働時間は、火力は3928時間しか動かさず、原子力は6136時間も動かしています。逆に言うと、1年は8000時間以上ありますから、火力を7000時間稼働させれば原発は要らないということです。
「脱原発」のコストについても、やはり知っておく必要があります。
今、電力需要の30%を担っている原発のすべてを化石燃料にすると、当局側の発表では、燃料費は毎年3・2兆円増加、そのうち節電等で半分くらいとすると1年に1・6兆円増加します。自然エネルギーに切り替える費用は、例えば太陽光発電とすると、1年に1・2兆円かかります。燃料費は太陽光発電量が増えてくると減っていくので、大体1年に0・8兆円増ですみます。そうすると、脱原発のコストは1年で約2兆円かかることになります。
他方、「脱原発」で節約できる部分があります。原発運転の直接費用、再処理費用、高レベル廃棄物処理費用、立地対策費などで節約できる部分は1年当たり2・14兆円になり、十分見合います。
私は今、「文明の転換期」ということを主張しています。現在の文明は地下資源文明であると言えます。しかし、明らかに曲がり角にきている。
一つは上流側、入口側で、資源の有限性がかなり深刻になりつつあります。下流側、出口は、環境の有限性です。廃棄物が累積し始めている。つまり、上流側も下流側も地球の有限性という壁にぶつかっています。
これからは、地上資源に目を移そうということです。地上資源は、上流は資源が豊かで、下流は地下資源に比べて環境への負荷が少ない。中流側は、消費・生産過程で地上資源をいかに使いこなすかということが一番問題です。私は、ここにこそ人類の知恵が試されると思っています。
私が「文明の転換」と言ってるのは、もう一つ、技術の方向の転換です。これまで地下資源文明というのは、要するに大量生産、大量消費、大量廃棄というシステムを効率的に動かす方式が、大型化・集中化・一様化の技術です。そうした技術からいま、可能な部分から小型化・分散化・多様化の技術へ転換していく必要があります。小型化・分散化・多様化というのは地上資源文明の核心です。
まとめです。地下資源文明は上流が×で、中流が○で、下流が×。地上資源文明は上流が○で、中流が×で、下流が○。まさに対極的です。そういう目で見直せば、私たちの生き方、暮らしをどうすべきか考えていけるのではないかと思います。
問題は、地上資源文明へいかにソフトランディングするかということです。自然エネルギー利用には10年かかるわけです。だから、今からゆっくりと地上資源文明へ乗り換えていくことが必要だということです。
くらし・営業を壊し、大地も海も奪った放射能
藍原 寛子(ジャーナリスト)
3月11日以降、福島県内では、地震が起き、数時間して津波が押し寄せ、丸1日経って原発事故が発生するという複合災害が起きました。私は生まれも育ちも福島ですが、これが本当に福島なのかと思うような状況です。きょうは、福島で実際にどういうことが起きたのかをスライドで紹介します。
最初の写真は、津波を受けたいわき市久之浜で、壊れた家の奥に「正月」「生活」などの書き初めがあります。何も持ち出せずに避難した様子がわかります。
次の写真は、郡山市の避難所です。ピーク時には2500人も避難し、感染性腸炎などの集団感染も起きて、被災者は無力化しました。
原発から30キロ圏内では人々の姿が消えました。ところが、障害者、高齢者、移動手段のない人とその家族などは避難できません。4月下旬から久之浜の寝たきり高齢者を訪ねたのですが、原発事故以来窓は開けたことがなく、地域の交流もなくなっていました。
原発から45〜60キロ圏内の飯舘村は、30キロ圏から外れた村ですが、風向きの関係で高度な被曝をした地域です。ジャーナリストやお医者さんがガイガー・カウンターを持って入って、そこの放射線量の数値を知らせたために、「放射線がすごく高いじゃないか」と大問題になりました。
6月以降、仮設住宅への移動が始まりました。しかし、仮設住宅に入ると食料や衣類の支援が打ち切られるため、高齢者などが仮設住宅に移らないという問題が起きました。今後、孤立化、孤独死などの予防が大きな課題になってきます。
放射能への不安が高まる中、福島の人は、数値に対するリテラシー(情報利用能力、応用力)とか、放射線に関する知識を身につけてきています。その一方で“学ぶ妻、知らない夫”という溝ができてしまい、原発離婚や原発別居も起きています。
学校の校庭の大規模除染は一段落しました。最初、文部科学省は校庭は除染しなくていいと言っていました。実現させたのは郡山市のお母さんたちの力です。子どもたちが楽しく遊んでいいはずの校庭に「こうていであそばない」という張り紙があります。いまも校庭で遊ぶ時間を1日20分と決めている学校があります。
現在も食品の放射能汚染の不安が強い。多くの町に市民放射能測定室が次々にオープンし、自治体、農協、商業者団体も独自に機器を購入して、検査を始めています。二本松市ではお寺の住職が粉ミルクから30ベクレルのセシウムを検出し、メーカーに記者発表させました。
低線量放射線が福島県内に長期に滞留することは明確ですが、行政は長期的展望を示していません。そうした状況のもとで現在、市民による2種類の被曝手帳が作られています。理容室では髪の毛、歯科クリニックでは乳歯の保存運動が始まっています。
国が昨年末から行なった20キロ圏内の除染モデル事業で、私も取材で原発から1・5キロの山林に入りました。放射線量が100マイクロシーベルトぐらいまで減った後、除染が行なわれたのですが、70〜50までしか減らない。このエリアで作業員が被曝してまで除染すべきなのか、議論の余地があります。
「裁判外紛争解決手続き機関」(ADR)に対する住民の損害賠償集団申し立てが始まりました。東電が提示した賠償基準が被害の現状を反映していないからです。
先週、原発事故の被害を被った市民らが集団告訴団を結成しました。これは業務上過失致死・傷害罪で東電、国、原子力安全委員会、原子力安全・保安院を刑事告訴するということです。
「原子力平和利用」の軌跡とアイゼンハワーの素顔
新原 昭治(国際問題研究者)
アメリカの国策として原発の国際的推進のきっかけとなった1953年12月8日のアイゼンハワー大統領の「アトムズ・フォー・ピース」(原子力の平和利用)演説について、またそれにもとづく当時のアメリカ政府の戦略について、話したいと思います。
「アトムズ・フォー・ピース」の「ピース」の意味について、当時のストローズ原子力委員長は、「核軍拡競争と冷戦においてアメリカの優位が続くこと」と語っています。
この演説の狙いは多重構造になっています。(1)米ソ核対決の実情を国民向けに説明する「率直作戦」、(2)国が原子力を独占しないで民間に開放する原子力の商業的利用、(3)新しい国家安全保障戦略で核兵器戦略を強化する。
この戦略について、国家安全保障会議は、原子力を商業的利用に任せるがアメリカの国益を貫くこと、核物質を各国に提供すれば米国がこの問題で世界の「管制高地」に立つことができるなどとしています。
この戦略の遂行について、一つは核兵器と共通する核物質サイクルの確保という狙いに関わるコンゴ問題があります。当時、西アフリカのコンゴはベルギーの植民地でした。1944年9月、米英両国がベルギーと秘密合意覚書を交わし、コンゴのウラン鉱石の先買権を取得したことが、米国政府の解禁文書に出ています。このコンゴのウランが広島原爆のために使われました。
しかし、1960年に独立したコンゴのルムンバ首相が、翌61年1月に暗殺されます。その後、アイゼンハワー大統領が1960年8月、ホワイトハウスでの補佐官との協議中に、突然「ルムンバを消せ」と言ったことが明らかになります。ベルギー議会はルムンバ殺害の調査をやり、殺害関与を認めて遺族とコンゴ国民に謝罪しました。
次に、米国が軍事同盟管理のための「原子力平和利用」戦略として重視したのが、日本国民の世論動向でした。
1950年3月1日、ビキニ環礁での水爆実験で第五福竜丸が死の灰を浴び、久保山愛吉さんが9月、「原水爆による犠牲者は私を最後にしてほしい」という遺言を残して死去します。この事件が日本の原水爆禁止運動に火をつけました。
注目すべきなのは、1955年のアメリカ国務省と国防総省の往復書簡です。日本への核兵器貯蔵には国民の抵抗があるとして、「日本人が米国の原子力平和利用計画の可能性を称賛すればするほど、現に存在する心理的障害を小さなものにすることや、核兵器計画をより高く評価することを促すのに有効」と言っています。つまり、核兵器持ち込みを実現するために、アメリカの国務省、国防総省が共同して原子力平和利用キャンペーンを推進し、読売新聞や日本テレビが中心になってディズニー制作の映画「わが友原子力」のテレビ放映、原子力平和利用博覧会などをやりました。
アイゼンハワーは核兵器にこだわり、自分が大統領になると軍事戦略の中に「通常兵器と同じように核兵器を使用できる」という規定を盛り込みました。
また、原子力の平和利用戦略も利用しながら、海外米軍基地の「核基地」化を推進します。この点で、日本では核兵器に反対する国民世論のために大きな困難が生じていたのです。
こうしてアイゼンハワー政権は8年間に核兵器を大増強し、総爆発力は、アイゼンハワー政権最後の年に2万メガトン、広島型原爆の130万個分相当にもなりました。米歴代政権でもこれほど核兵器を増強した政権はありません。
アイゼンハワー政権は核兵器使用も頻繁に企てました。1953年春、休戦協定交渉中の朝鮮で「使うかもしれないぞ」と中国に伝え、54年5月には、ベトナムのディエンビエンフーで敗色濃厚のフランス軍を助ける目的で3発の戦術核兵器の使用を申し出ています。55年と58年には台湾海峡紛争に際して、中国に対する多数の核使用計画を立てます。
最後に、私がうれしく思っているのは、米国の研究者の中で、アイゼンハワー大統領とその政権の実像を明らかにする仕事がかなりやられていることです。コロラド大学のチャーナス教授は、アイゼンハワーの「アトムズ・フォー・ピース」の流れが21世紀の今も生き続け、「歴史的時間の流れ」の外にとどまる「不安全国家」米国の、変革を拒み続ける戦略思想の土台になっていると警告しています。
(講演全文は近日発行の『報告集』に収録します)
|
| |
|