| 「いま日本政府の核政策を問うー核先制使用戦略許さず核兵器廃絶を、イラク問題・国連の枠内で平和的解決を」 |
| 02年11月30日 |
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非核の政府を求める会は2002年11月30日、東京・プラザエフでシンポジウム「いま日本政府の核政策を問うー核先制使用戦略許さず核兵器廃絶を、イラク問題・国連の枠内で平和的解決を」を開催しました。以下は報告者3氏(黒沢満・大阪大学大学院教授・軍縮国際法、小泉親司・日本共産党参議院議員外交防衛、藤平典・日本被団協代表委員)の報告テーマと要旨です。
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| 核兵器をめぐる国際動向と日本政府 |
| 黒澤 満(大阪大学大学院教授・軍縮国際法) |
黒沢満氏は、ブッシュ政権を中心に世界が動いているかに見える今日の状況のもとで、核兵器問題を軸に米国の動向を分析したいとのべ、同政権の核政策の特徴について歴史を追って分析しました。
ブッシュ政権が誕生したのが2001年1月で、正式な政策表明したのが、5月1日の国防大学演説だったと指摘。ここでは、@ロシアはすでに敵ではない、AABM条約を越えてすすむ、B戦略兵器を削減するなど三本柱を強調し、この時点では欧州とアメリカとの対立があったとのべました。ここで九月の同時テロがおこり、準戦時体制に突入、テロ事件をうまく利用しながら、ブッシュの政策遂行の追い風にしていったと強調しました。
同年11月には戦略核の一方的削減を提唱。10年以内に2200から1700発にするとし、ロシアとの条約によらないとしたところに重要な意味があると指摘しました。そして、12月13日にABM条約(弾道弾迎撃ミサイル制限)
の脱退通告となり、軍備管理軍縮条約からの初めての脱退であり、条約より国益重視の態度を鮮明にしたものと特徴を指摘、アメリカの単独主義の最たるもので、悪い先例になるとのべました。
翌2002年になってNPR(核態勢見直し)が出され、「不測事態関連国」として7カ国の国名を名指ししてあげるとともに、核兵器使用ドクトリンをかつてなく鮮明にしたと指摘しました。そして、1月の一般教書演説で「悪の枢軸」を強調し、9月の国家安全保障戦略で、テロに対し先制的に攻撃し自衛権を単独で行使する政策を鮮明にしたと強調しました。
これらの一連の核政策の流れは、一国主義と国益中心主義というブッシュ政権の一般的特徴を核政策に適用したものだとのべました。そこには、対話や協議よりも軍事力により問題を解決しようとする姿勢が浮き彫りになっていると指摘しました。
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| 日本政府の核兵器政策をきる |
| 小泉親司(日本共産党参議院議員・外交防衛) |
小泉親司氏は、@核兵器の先制攻撃戦略、A新たな核兵器開発、B核持ち込み体制と非核三原則の三つの分野から小泉内閣の姿勢を検証しました。
まず、ブッシュ政権の先制攻撃戦略の危険性について、非核国への核攻撃がありうるとしていることについて、きわめて危険な内容と強調。これまで歴代米政権が何らかの武力攻撃があった場合に、これを前提にした核攻撃を想定したが、ブッシュ政権はテロを口実に何もなくても攻撃するとしているところに重大性があると指摘しました。この先制攻撃政策には欧州からも強い批判があると指摘、このもとでイラクへの攻撃計画があるとのべ、安保理決議1441の意義と背景、「国連の枠内での平和的解決を」求める世論を大きくしていくことの重要性を強調しました。
これらにたいする小泉内閣の態度について、イラク攻撃への反対を名言せず、核先制使用政策についても「アメリカの選択肢」と容認している態度を厳しく告発しました。
新たな核開発問題について、ブッシュ政権が強調している小型核兵器開発が、CTBTを死文化させる動きと一体にすすめられていることを指摘。ここには、未臨界核実験だけでは旨くいかず現実の爆発を伴う核実験に道を開けておきたい思惑があると強調し、NPT、CTBTの約束をないがしろにするものと厳しく批判しました。これにたいする日本政府の態度は、「米政府の政策でコメントできない」との態度をとっていることを批判しました。
核持ち込み・非核三原則問題について、5月の福田官房長官の「見直し発言」に言及。日本の核保有とともに、より意識的なのは「持ち込ませず」を崩したい思いがあると指摘しました。 今日の米核政策のもとで91年戦術核撤去のブッシュ・イニシアチブを見直さざるをえなくなっている状況もあり、日米核密約や有事法制との関係でも重大問題と強調。「核兵器使うな、廃絶を」の世論を高めることの重要性を強調しました。
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| 被爆者問題にみる政府の核政策 |
| 藤平典(日本被団協・代表委員) |
藤平氏は冒頭、原爆被爆者の願いを、1956年の日本被団協結成大会宣言を引用し、「再び被爆者を生み出してはならない」との思いであることを指摘、自らの被爆体験にもふれながら核兵器廃絶への強い思いを強調しました。
日本政府の原爆への態度として、最初で最後のアメリカへの抗議文(45年8月10日)を紹介し、その後のプレスコードや原爆被害の放置政策を述べました。 原爆被害の国家責任を明らかにしたものとして、@東京地裁判決(63年12月)、A孫振斗訴訟最高裁判決(78年3月)、B郭貴勲大阪地裁判決(2001年6月)の三つの裁判所判決の重要性を指摘。しかし、政府は一貫して国家補償を拒否してきた問題を強調しました。
この国家補償拒否をいっそう明確にしたのが、「原爆被爆者対策基本問題懇談会答申」(通称・基本懇80年12月)であるとし、「戦争による一般の犠牲と同じで国民等しく受認しなければならない」とした重大な問題を強調しました。 これにたいする日本被団協の「声明」で、残虐性の無理解、原爆被害の全面性を認めていないとともに、国の戦争責任を問わず戦争肯定の姿勢であり、核武装への地ならしにつながる恐れがあると強く批判していることを指摘しました。
84年に発表した「原爆被害者の基本要求」にふれ、国家補償を実現することは核戦争阻止・核兵器廃絶への決意を示すものだとのべました。
最後に藤平氏は、集団申請・訴訟運動をはじめ現在日本被団協がとりくんでいる運動について紹介、被爆者の運動は、非核の政府を求める運動と一致すると強調しました。
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