HOME >> 非核ゼミ・文化案内━シリーズ・被爆の実相
 
 ●シリーズ・被爆の実相
 
シリーズ「広島・長崎被爆の実相」
 第6回 核分裂の発見
中嶋篤之助

 中性子が発見されると、物理学者たちは、この粒子が衝撃用に非常に好都合な特性を持っていることに気づきました。中性子には電荷がありませんから、原子の内部の外殻電子や原子核の電荷によって妨害されることがありません。中性子がゆっくりと移動すればするほど、原子核付近での滞在時間が長くなり、核力の働きによる引力で、近傍にある原子核に捕獲される可能性が増すでしょう。
 中性子捕獲の場合には、中性子の速度が遅くなるほど原子核の影響が大きくなります。これはあたかも原子核が大きくなればなるほど、また中性子の速度が遅ければ遅いほど、衝突の可能性が多くなると考えられます。そこで核断面積という言葉が使われ始めました。これはある特定の核が、衝突してくる粒子に対して、これこれの寸法の断面積を持っているというように考えたものです。
 遅い中性子の有効性は、1934年にイタリアのエンリコ・フェルミによってはっけんされました。中性子は発生するときには、一般的に高いエネルギーを持っているので、それを遅くする方法を考えねばなりません。それには中性子を中性子と同じ程度の質量を持った軽い原子核≠ニ衝突させることがよいことがわかりました。ただし、衝突するとき中性子を吸収してしまうような原子核は好ましくありません。こういう目的に適した物質を減速材と呼びます。重水やパラフィン、炭素などはよい減速材となります。
 1935年、フェルミとその協力者は、中性子を減速させて熱中性子を作り出し、それによる原子核の衝撃実験を行いました。そして熱中性子を衝撃粒子とした場合に断面積がいかに大きくなるかという点に気づいたのでした。こうして核反応から実用的エネルギーを取り出す可能性が出てきたように考えられました。
 しかし、中性子をどのくらい低いエネルギーにするか、どうやってそれを確実に衝突させるかが問題です。フェルミが試みた実験のなかに、中性子によるウラン原子核の衝撃がありました。最終的にはこの道を通って原子核エネルギーの実用化が可能になるとは、ラザフォードには予測できませんでしたし、フェルミ自身も予測していたわけではありませんでした。
 フェルミのグループは遅い中性子のいろいろな原子核への衝突を周期律に従って片っ端から試み、その結果を観察しました。中性子を吸収した原子核は安定な核に変わって、より高いエネルギー状態になり、余ったエネルギーをガンマ線として放出したり、あるいはベータ粒子一個の放出をします。この結果、質量数は不変で原子番号が一つ増加します。例えばロジウム元素について考えると、原子番号は45、同位体は安定な一種類のみで、質量数103(陽子45個、中性子58個)です。中性子一個を吸収するとロジウム104(陽子45個、中性子59個)となり、これは不安定で、ベータ粒子一個を放出し、中性子一個を陽子一個に変換するのです。これは陽子46個、中性子58個の核になります。これはつまり、パラジウム104で安定な元素です。
 こうしているうちに、彼はもしウランに中性子が衝突したらどうなるだろうかと考えました。この場合でも原子番号が増えるのでしょうか。すると92番から93番になるのでしょうか。それまで知られていた周期律でウランより高い原子番号の元素はありませんでしたから。ところがこの実験で生成されたベータ粒子は四種類もあって、そのエネルギーはそれぞれ異なっており、事態はひどく混乱していました。フェルミは93番元素の原子核の存在を明らかにして、示すことができませんでした。

オットー・ハーンとリーゼ・マイトナーの実験
 フェルミのウラン衝撃の結果が報告されると、多くの科学者がいっせいにこの実験を追試しました。しかし種々のエネルギーのベータ粒子が観測され、いったい何が起こったのか判断できなかったのです。
 ハーンとマイトナーは放射化学的方法でこの問題に立ち向かいました。ウラン衝撃の結果の生成物に、ある種の安定な元素を加えてみることです。この元素は衝撃の結果、生成したかもしれない、ごく微量の放射性同位元素と化学的性質がよく似たものでなければなりません。この安定な元素を混合物から分離したとき、微量な放射能をもつ元素もそれといっしょに移ってくることを期待するという方法です。
 こうした目的で加える元素を担体と呼びます。これはかなり厄介な方法で、周期表の縦に並んでいる同族元素をいくつも試してみる必要があります。ハーンらが採用した担体のなかに、原子番号56番のバリウムがありました。バリウムは硫酸を加えると沈殿します。この沈殿物に放射能が伴われてくることが発見されました。バリウムと化学的性質のよく似た元素といえばラジウムです。原子番号88番のラジウムならば、ウランが二度続けてアルファ崩壊をくり返せばラジウムが生成するかもしれません。きっとそうだというように考えられました。
 ハーンとマイトナーの実験はドイツのカイゼル・ウィルヘルム研究所で行われていたのですが、当時ドイツはナチスの統治下にあり、ユダヤ人排除法が施行されていました。マイトナーはユダヤ人でしたが、オーストリア生まれの外国人であるということで、排除法からかろうじて保護されていました。しかし1938年、ヒトラーがオーストリアをドイツに併合してしまうと、マイトナーの身にたちまち危険が迫ったのです。彼女はオランダを経てスウェーデンのストックホルムにたどり着きました。
 ハーンはシュトラーススマンを新しい共同研究者として研究を続行しました。疑われている生成原子核がラジウムなら、そのバリウムとの分離は化学的にはかなり面倒ではありますが、必ず分離できるはずです。しかし何度くり返してもバリウムとラジウムに似た物質は分離できませんでした。ハーンには次第に事態がつかめてきました。すなわち、ラジウムに似た物質は、バリウムそのものであるということです。
 しかしこの結論は、それまでの放射化学者としての経験からは、信じられないことでした。バリウムは原子番号が56で、ウランの半分よりちょっと大きいくらいです。どうすればウランの原子核がバリウムの原子核に変われるのでしょうか。二つに割れたとでもいうのでしょうか。彼はこの結論を発表することを決心できませんでした。ただ、この結果をマイトナーに知らせたのです。


 (なかじま・とくのすけ=常任世話人・核化学者)