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 ●シリーズ・被爆の実相
 
シリーズ「広島・長崎被爆の実相」
 第34回 最ふたたびウェーキ島に
中嶋篤之助

 6月22日はたいへんな放射能汚染で、科学者たちは一日中、休む暇もありませんでした。ガイガー計数器は鳴りっぱなしでした。その忙しい日もやがて夜になりましたが、調査団員たちは放射能にたいするショックと一日の労働の疲れで寝つけず、夜遅くまで甲板上で話し合っていました。
 計測班の三好寿氏は、海水の放射能から、ビキニ環礁に囲まれた小さい礁湖のなかにある放射性物質だけでも原爆の30個分はあるだろうと推定しました。これは用いられた水爆が起爆剤として少数の原爆を使用したものではなく、それ以外に驚くほど多量の核分裂生成物を放出していることを示していました。
 船はウェーキ島で2日滞在し、6月17日に出航し、再び南下を開始。6月19日にとれたカツオに最高に近い放射能汚染が発見されました。ここはビキニ環礁から北西550キロも離れたところでした。さらに20日には海水の放射能は再び1000cpm台にのぼり、その翌々日まで続きました。このあたりはビキニ環礁から西に500〜1000キロも離れていました。北緯5度くらいまで南下し、やっと放射能の少ない海域に出ました。
 6月24日に北緯3度24分に達し、そこから反転して日本への帰路につくことになりました。海水の放射能は減少しましたが、ビキニ環礁の西方1500〜2000キロも離れたところで、なお数十〜数百cpm/gの海水放射能と、数百〜1000cpm/c台のプランクトン放射能が検出され続けたのです。これらのことから、放射性物質の主流は北赤道海流にのって西に向かっていることが明らかになりました。
 水爆の爆発点から1000キロも2000キロも離れてなお海水にも生物にも放射能があるということは、いままで想像もしていなかったことだけに、調査団の科学者をはじめ報道を聞いた多くの国民を驚かせました。
 このことはアメリカ側でも全然予想さえしていなかったことで、彼らもまた巨大な量の海水の希釈能力を過信していたのです。また、放射性物質が生物の体内に濃縮することの結果を過小評価していたのです。水爆の及ぼす影響を評価するには、いままでの常識はなんの役にもたたなかったのです。常識をこえた水爆の影響は、さらに放射性物質によるグローバル・スケールの汚染をはじめとして、思いもよらないところに表れてくるのです。

■つぐみ作戦
 1956年4月20日からアメリカは、エニウェトク・ビキニ環礁で、総計13回の核実験を行いました。この一連の核実験は「つぐみ作戦」と呼ばれました。それは米国初の水爆の高空爆発でした。実はソ連はその前年に高空爆発実験を終えていました。米国の最初の水爆投下実験は5月21日に行われました。この爆弾は「チェロキー爆弾」と呼ばれ、9回も延期に延期を重ねた後、B52戦略爆撃機で運ばれ、1万5000メートルの高さから投下され、2分後に爆発しました。キノコ雲の先端は12分間で高さ45キロに達し、直径は180キロに広がりました。この爆発は日本でも気圧の振動や津波で認められただけでなく、地震計にも記録されました。
 この「つぐみ作戦」による太平洋赤道海域の放射能汚染を調査するために、厚生省と水産庁はふたたび俊鶻丸をビキニ海域に派遣することになりました。
 調査は36日間にわたって行われ、航程約6000マイルの航海ののち、6月30日に東京港に帰りました。第1次調査の結果では放射能汚染は大気よりむしろ海水に大きかったのですが、第2次調査では大気中に著しい放射能が検出され、海水からはあまり高い放射能は出ませんでした。地上爆発と高空爆発の違い、および環礁からの距離の差によるものです。これを数字で比較すると、別表のようになります。
 しかし、海水の汚染区域は、第1次に比べて第2次のほうがむしろ大きく、赤道反流域にまで汚染が広がっていました。生物の汚染については、第1次調査のときと同様に、プランクトンの汚染が強かったのです。マグロ類の内臓が汚染されていることも、前回同様でしたが、1954年の核実験の影響と思われる放射能が、いまだに魚体内に残存していることもわかりました。とくにイカの肝臓の汚染は、プランクトンを上回るほどでした。イカはマグロ類の餌になるので、このことが注目されたのです。

 【参考文献】三宅泰雄『死の灰と闘う科学者』(岩波新書1972年)


 (なかじま・とくのすけ=常任世話人・核化学者)