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 ●シリーズ・被爆の実相
 
シリーズ「広島・長崎被爆の実相」
 第31回 オ汚い水爆の犠牲
中嶋篤之助

 1954年3月1日、静岡県焼津のマグロ漁船第五福竜丸は、南太平洋のビキニ環礁でアメリカが行った水爆実験による死の灰≠大量に浴びました。しかし、この事件は、3月14日に同船が焼津に戻ってくるまで、日本国民に知らされませんでした。3月2日、保守3党はわが国初の原子炉予算2億3500万円を科学技術振興追加予算として突如提出し、3月5日、衆議院を通過させました。
 第五福竜丸の乗組員は、23人全員が急性放射線障害に罹っていることがわかり、3月28日に国立東京第一病院と東京大学付属病院に入院しました。日本の医学陣は全力をあげて治療に取り組みました。日本政府を通じてアメリカ政府に、死の灰の放射能について情報・治療対策などを問い合わせましたが、役に立つ回答はほとんど得られませんでした。
 23人の乗組員のうち、無線長の久保山愛吉さんは9月23日、ついに亡くなりました。死因は放射能症にもとづく黄疸でした。
 ところがアメリカ政府や原子力委員会は、この事実を認めようとせず、日本の医術が未熟であったため輸血に失敗し死を招いたと主張しました。この態度はいまでも変わらず、久保山さんの死をビキニ水爆実験によるものとは認めていません。

■死の灰の化学分析
 東大の木村健二郎教授および南英一教授は東大病院の都築教授の依頼を受けて、研究室の総力をあげて、第五福竜丸に残留していた死の灰の分析に取り組みました。その結果、この水爆がきわめて放射能の多い「汚い」爆弾であることがわかりました。
 第五福竜丸の甲板を真っ白にするほど降ってきて、死の灰のもとになった白い粉自体の成分は、水爆の爆発で蒸発し上空で凝結した珊瑚礁でしたが、これに大量の放射性物質が付着していたのです。その中から核分裂生成物のほかに、ウラン237という特殊な核種が検出されたのです。
 このウラン237こそ、戦時中の1942年に理化学研究所のサイクロトロンの高速中性子によりウラン238を衝撃して生成された核種であり、木村、仁科がその発見者とされています。木村は12年後に、意外なところで自分の発見したウラン237に遭遇したことになります。
 この発見は、この水爆が、核分裂(Fission)、核融合(Fusion)、核分裂(Fisson)の3段の過程を利用する3F爆弾であったことを明らかにしました。これはアメリカの最新鋭水爆の最高の軍事機密が明らかにされたことを意味し、アメリカ原子力委員会を驚愕させた情報だったのです。

■水産物と海洋の汚染
 ビキニでの水爆実験で放射能に汚染されたのは第五福竜丸だけではありませんでした。キャッスル作戦の実験そのものが、3月1日のブラボー水爆の爆発だけでなく、5月中旬までに5回の爆発を行っています。
 これらビキニ実験で汚染した日本の船は、のちの日本政府の公表によれば、11月末までに塩釜、東京、三崎、清水、焼津の政府指定5港で312隻、その他の13港で371隻、合計683隻にのぼりました。第五福竜丸が積んできたマグロ類、フカのひれなどには多量の放射性物質が付着して汚染していたものが多く、すでに消費地魚市場に発送後でしたが、その大部分は発見されて廃棄されました。このため国民の間ではマグロ類ばかりでなく一般の魚類にいたるまで恐怖感をもたれ、売れ行き不振となりました。
 3月18日、農林省と厚生省は、指定した区域で漁撈または通過した漁船の船体および漁獲物について放射能検査を行うことにしました。このとき、魚類についての基準は、β線用ガイガー・カウンターを用い、魚体表面より10センチの距離で1分間100カウントを超えるものは食用に不適とするものでした。
 10月までに検査した2152隻のうち238隻から汚染魚類が検出され、廃棄処分となったものは検査した水揚げ量の約0・%、338トンに達しました。これらの結果から、実験海域の近くばかりでなく、広い範囲の海洋が汚染されていると予想されたのです。 (次号につづく)

 【参考文献】服部学『核兵器と核戦争』:科学全書(1982年)


 (なかじま・とくのすけ=常任世話人・核化学者)