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 ●シリーズ・被爆の実相
 
シリーズ「広島・長崎被爆の実相」
 第30回 オッペンハイマー聴聞会
中嶋篤之助

■2匹のサソリ
 アメリカで最も権威ある外交評論誌『フォーリン・アフェアーズ』に1953年7月、オッペンハイマーが執筆した「原子兵器とアメリカの政策」と題する論文が発表されました。その中に有名な「2匹のサソリ」の例えがあります。
 「我々は、おそらく、長い冷戦の時代に直面しているのであり、紛争と緊張と軍備が我々とともにあることになるだろう。そして、困難は次のようなものだ。この期間に、原子爆弾の時計は、次第に速くカチカチと時を刻む。2つの大国は互いに他の文明と生命を終わらせる構えをとるが、自らの文明と生命も危うくせざるをえないという状況が予想される。我々の状態は、1つの壜のなかの2匹のサソリに似ていると言えよう。どちらも相手を殺すことができるが、自分も殺されることを覚悟しなければならない」。
 これは、アメリカ政府がとっている核兵器と核戦略に関する政策への痛烈な批判でした。
 「大きなサソリは小さなサソリを殺して生き残れるだろう。だから、アメリカサソリをソ連サソリより常に大きく育て、保たなければならぬ」──これがオッペンハイマーを押しつぶしにかかった主流派の考えでした。
 AEC(原子力委員会)の初代委員長リリエンソールは水爆については一貫してオッペンハイマーを支持しましたが、1950年2月に退職し、G・ディーンが2代目のAEC委員長となりました。ディーンは、初めストローズとともに水爆開発賛成の立場をとりましたが、その後のストローズやテラーの手口の悪辣さに業を煮やして、ついにはテラーを激しく批判し、オッペンハイマーを擁護する側に回った人物です。

 オッペンハイマー聴聞会は次のようにして始まりました。
 W・ボーデンはFBI長官エドガー・フーバーに長文の手紙を送り、オッペンハイマーはソ連のスパイであると告発しました。ボーデンはマクマホン上院議員の部下で、戦略爆撃の支持者でした。この手紙は、その中に記された事項を裏付けるFBIの分厚い調書とともに、11月30日にホワイトハウスに届けられ、12月2日、アイゼンハワー大統領に提出されました。驚いた大統領は12月3日、AEC委員長のストローズを呼んで事情を聞き、直ちに大統領命令を下して、オッペンハイマーを一切の国家機密から隔離しました。
 アイゼンハワー大統領が、性急にオッペンハイマーを斥けた第一の理由は、当時、マッカーシー上院議員の赤狩り≠ェアイゼンハワー政府を脅かしていたからです。政府に重用されているオッペンハイマーを、マッカーシーが非米活動調査委員会で取り上げれば、政府が重大な苦境に立つことは明らかでしたから、オッペンハイマーをあわてて切り捨てたのです。
 しかし、最近刊行されたカイ・バードとマーティン・シャーウィンのオッペンハイマーの伝記は、この聴聞会の仕掛人はストローズとFBI長官フーバーであり、彼らの綿密かつ周到な計画にもとづくAECからのオッペンハイマーの排除であったことを明らかにしています。
 オッペンハイマーの第1の敵は「戦略空軍」で、無差別爆撃に反対する彼を許容できなかったのです。第2は水爆開発推進派です。これにはテラーやローレンスが含まれます。現代コンピュータの開発で著名なフォン・ノイマンもいましたが、彼は聴聞会の証言ではオッペンハイマーを支持しています。第3に、戦時中からグローブス将軍の最高級補佐官として保安関係を担当していたニコルズがいます。またストローズはプリンストン高等研究所の副理事長であり、同時にもっとも有力なスポンサーでした。彼はまた、アイゼンハワー大統領への多額の選挙資金の提供者でもありました。
 この聴聞会は非公開で、ワシントンの中央に近いAEC所属のみすぼらしい古い建物の一室で行われました。その意義の重大さは、喚問された39証人の顔ぶれを見ればわかります。前2代のAEC委員長D・リリエンソール、G・ディーン、世界銀行総裁J・マクロイ、G・ケナン、L・グローブス、J・ランズデール、科学者としてはV・ブッシュ、J・コナント、K・コンプトン、フェルミー、ラビ、ベーテ、プラドバリー、デュブリッジなどの大物がすべてオッペンハイマーを支持する証言を行いました。科学者ではテラーだけがオッペンハイマーに反対でした。
 この事件の意味とその関係するところはきわめて広範です。カイ・バードの新著を読むと、改めて当時の米国社会の深刻な様相の一端を知ることができますが、問題がすべて解明されたわけではないと思います。


 (なかじま・とくのすけ=常任世話人・核化学者)