| シリーズ「広島・長崎被爆の実相」 |
| 第3回 核エネルギーとはA |
| 中嶋篤之助 |
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原子と原子核の構造を明らかにし、「原子物理学の父」と呼ばれているのは、英国の実験物理学者E・ラザフォードです。彼は1871年にニュージーランドのネルソン近郊で生まれ、ネルソン・カレッジで学んだのち、クライストチャーチのカンタベリー・カレッジに入学し、物理学研究に進み、93年学位を取得。95年、英国に渡り、J・J・トムソンが所長をしていたキャベンディッシュ研究所に入りました。
トムソンは電子の発見者として知られていますが、この発見こそ実は「不分割」の究極の粒子と考えられていた原子が電子をその構成部分として含むことを意味し、原子が構造をもつことを意味するものでした。
ラザフォードはトムソンに誘われて共同で放射線の研究を開始、96年1月にはX線に照射された気体中の電気伝導に関する論文を発表。98年にはカナダのマックギル大学の教授としてモントリオールに赴きました。彼はこ多くの共同研究者に恵まれ、放射性気体「トリウム・エマネーション」を発見します。
続いて化学者ソデイの協力を得て、このエマネーションの性質を調べ、この結果にもとづいて、今日広く用いられている「半減期」の概念を提起し、翌年には放射壊変の理論を発表しました(ソデイ・ファヤンスの法則とも呼ばれる)。これによって当時混沌としていた放射能現象が解明され、既成概念の大変革を含む原子構造の解明に向けての重要な第一歩が踏み出されたのです。
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| ■現代物理学の幕開け |
1907年に英国に戻り、マンチェスター大学の物理学教授に就任。ガイガーとともにα粒子の電荷と本性を解明、ロイズとともにα粒子は「ヘリウム原子」であることを分光学的方法を用いて証明しました。ついでα線やβ線の散乱実験に着手し、ガイガーとマースデンの実験で発見されたα線の後方散乱現象に注目し、ラザフォード散乱公式と呼ばれる原子核によるα粒子の散乱理論を打ち立て、原子の有核構造という新しい原子構造モデルを発表しました。
この実験についてもう少し説明します。放射性物質ラジウムからのα粒子を鉛にあけた細穴を通して線束にし、それを金箔に当てたときに受ける散乱の様子を測定しました。α粒子のほとんどは曲げられずに前方に散乱するが、ときどき大きな屈曲を起こし後方に散乱することがわかりました。ラザフォードは、原子の中心に正電荷Ze(Zはある整数、eは電気素量)をもち、原子の半径(約10のマイナス八乗センチメートル)よりはるかに小さい大きさで、原子の質量が集中した原子核があるとして計算した結果、実験とよく一致することを見いだしたのです。この有核構造モデルはボーアの量子論やモーズレーの法則(原子番号とその原子の特性X線の波長の関係を示す)と結合し、現代物理学と化学の歴史の新時代の幕開けとなりました。
第一次大戦後になって、α粒子を窒素原子核に当てて水素原子核をたたき出すという、初めての原子核人工変換に成功しました(1919年)。この年、トムソンの後継者として、キャベンディッシュ研究所所長に就任し、原子核人工変換の研究をすすめ、数々の重要な成果をあげました。プロトン(陽子)の命名、中性子や重水素の存在の予言、放射能による年代測定法も彼によるものです。またナチスに迫害されていたユダヤ人科学者の救済にも尽力しました。08年ノーベル化学賞受賞。14年にナイト、31年にバロンの爵位を受けました。37年、不慮の事故で死去、ウェストミンスター寺院のニュートンの墓の近くに埋葬されました。
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(なかじま・とくのすけ=常任世話人・核化学者)
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