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 ●シリーズ・被爆の実相
 
シリーズ「広島・長崎被爆の実相」
 第29回 核軍拡の3段階
中嶋篤之助

 原水爆生産の拡大は、ほぼ3つの大きな波を描いて展開されました。
 第1の波は1947年、第2の波は50年、第3の波は52年にそれぞれ開始され、主要施設の建設を終わったのが56年、核分裂物質生産がピークに達したのは60年前後でした。
 しかし、最終の第3波が52年に始まり、それ以後は規模の拡大がなかった点から言えば、この核軍拡の実質的な期間は47〜52年の6年間ということになります。この時期は東西冷戦がもっとも厳しい様相を示した時期と一致しており、原水爆産業の拡大は冷戦の経済的側面そのものであったことを示しています。
 また、国際情勢の変化によって、この軍拡に何度も拍車がかかり、その頂点は、53会計年度の予算額41億ドルに象徴されています。
 ▽「第1段階」
 47〜51年度。この段階では広島・長崎原爆の改良、その破壊力の増大がとりあえずの目標でした。そのため、開発の基礎条件の整備がはかられ、核実験場や膨大な研究開発施設の建設が進められました。
 それと並行して、ハンフォードのプルトニウム生産施設、オークリッジのウラン濃縮工場の改修と第1次拡張が行われました。  49年からは原子力潜水艦の開発がスタートしました。
 ▽「第2段階」
 50年1月、トルーマン大統領の水爆開発命令に始まる時期で、54年の水爆完成に至る時期です。  この時期には、水爆の開発を中心に、「あらゆる形態の核兵器の開発開発促進」が目標にされ、サバンナリバーの水爆開発センター、パデューカの新濃縮工場が建設されたほか、オークリッジの第2次拡張が行われました。
 潜水艦用推進炉の開発が成功し、原子力潜水艦の建造が進むとともに、航空機、大型艦船用の推進炉の開発も開始されました。
 ▽「第3段階」
 第2段階のすぐあとに続いた最後の大軍拡で、52〜56年にわたりました。
 この時期の特徴は、開発の重点が戦術核兵器に移ったことで、多種多様な小型核兵器──核兵器家族(Nuclear family of weapons)による全軍核武装が目標に掲げられました。そのため、核物質の大増産が計画され、ハンフォード、サバンナリバーの拡張とともに、新濃縮基地ポーツマスが建設されました。
 また55年には第1号原潜ノーチラスが就航し、以後、ぞくぞくと原潜が完成していったのです。

 (なかじま・とくのすけ=常任世話人・核化学者)