| シリーズ「広島・長崎被爆の実相」 |
| 第2回 核エネルギーとは@ |
| 中嶋篤之助 |
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| 放射能の命名 |
1895年、陰極線の研究をしていたドイツの物理学者W・レントゲンは、光によく似た、しかし光よりずっと透過力の強い放射線=X線を発見しました。この発見は当時の科学者をたいへん刺激し、その追試などが盛んに行われました。フランスの物理学者アンリ・ベクレルもその一人で、長らく蛍光の研究を行っていましたが、硫化カリウム・ウランもその頃知られていた蛍光体の一つで、太陽光線で照射すると発光することが知られていました。ベクレルはこの発光がX線を含んでいないか調べてみました。
1896年になってベクレルは、この化合物が、太陽光線の照射とは関係なくX線のような透過力のある、目に見えない放射線を出し続けていることを発見しました。この放射線は、写真感板を黒い紙で包んでもX線と同じように感光させることが発見されました。すっかり喜んだベクレルは、このウラン化合物をポケットに入れて持ち歩き、友人たちに見せびらかしたそうです。
1898年にポーランドに生まれ、パリのソルボンヌ大学を卒業したマリー・スクロドウスカ・キュリーは、ピエール・キュリーと結婚したばかりでしたが、学位論文のテーマとして、このベクレルの発見した現象の研究に取り組みました。彼女の成功はピエールが作り上げたピエゾ電位計(圧電気の応用)を利用し、これらの放射線の強さを定量的に測定することができたからです。
まず彼女は、これらの放射線の源がウラン原子であることを突き止めました。どんな化合物でもウランを含んでいるものはみな、この透過力のある放射線を出すのです。彼女は連続的に放射線を出す現象を放射能と命名しました。ウランは放射能のある放射性元素として認められた最初の元素でした。まもなくトリウムも放射能を持っていることがわかりました。
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| 無限のエネルギー |
続いて彼女は、ウランの鉱石であったヨアヒム鉱山産のピッチブレンドからウランを抽出した鉱滓にウランより強い放射能が残っていることを発見し、夫のピエールとともに、その正体を突き止めるために、大量の鉱滓を化学処理して放射能を手がかりに分離作業を進め、二つの新元素を発見しました。最初に発見された元素は故郷ポーランドにちなんでポロニウムと命名されました。もう一つの元素は化学的性質がバリウム(Ba)とよく似た元素で、それと分離するためには、溶液中の溶解度の差を利用する分別結晶法という面倒な方法を用いなければなりませんでした。これがラジウムで、発見されるやいなやたいへんなブームを世界中に引き起こしました。がん治療やラジウム温泉、はてはラジウム・カフェーまで現れました。
ピエール・キュリーは、ラジウムを熱量計に入れて温度の上昇を測定しました。その上昇はわずかでしたが、いつまでも絶えることなく続くのです。これは一九世紀中に確立された熱力学の第一法則、すなわちエネルギーを他から補給することなしに動き続けるエンジンはありえないということと矛盾します。この無限のエネルギーはいったいどこからくるのでしょう。それは原子から生ずるとしか考えられないというのが、ベクレルの意見でした。こうして原子エネルギーという言葉が生まれたのです。それが原子ではなく原子核から生ずるのだということが明らかとなり、したがって核エネルギーと呼ぶべきだということになるまでには、原子と原子核に関する構造が明らかにされねばなりませんでした。
もう一つの無限のエネルギーとして、当時の科学者を悩ませていたのは、太陽エネルギーでしたが、これも核エネルギーであることが明らかとなります。(続く)
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(なかじま・とくのすけ=常任世話人・核化学者)
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