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 ●シリーズ・被爆の実相
 
シリーズ「広島・長崎被爆の実相」
 第14回 プルトニウムの生産と分離
中嶋篤之助

 前回掲げたマンハッタン計画の機構に示したように、1942年6月時点では、Pu(プルトニウム)の生産はコンプトン・グループの分担でした。すなわち、シカゴ大学に作られた冶金研究所がその中心でした。そうしてその年の12月、フェルミらのグループによって、核分裂連鎖反応を実際に起こしうることが確かめられたのです。このあたりまでは、科学者の活動がほぼすべてであったと言ってよいのですが、次第に陸軍による管理が強化されることになります。それは@科学者の分散管理による秘密保持の強化A量産のために大企業の協力・動員が必要となったことによります。
 量産のためには、どうしても中間的なパイロット・プラントが必要です。実は連鎖反応で生成するであろうPuを分離するための分離技術については、それまでバークレイのサイクロトロンを利用して作られた数十マイクログラムのPuを用いて、超微量分析法がシーボルグらによって開発されていたのですが、それを少なくともグラム単位にまでスケールアップせねばなりません。そのためクリントン・パイルが建設されることになったのですが、しかしほとんど同時に、ハンフォード・パイルの設計も進められたために、クリントン・パイルはパイロット・プラントの役割は果たせず、ただ分離工場のみがその役割を果たす結果となりました。クリントン・パイルはユニオン・カーバイト社とテネシー・イーストマン社が契約者となりましたが、ハンフォード・パイルは陸軍の一方的意向によってデュポン社が担当することになりました。ハンフォード・パイルの建設はしたがってPuの量産工場というだけでなく、戦後大きな問題となった「軍産複合体」の始まりをなすものでした。
 42年12月、デュポン社が契約を正式に受諾し、翌年1月、ハンフォードの用地買収が最終的に決定しました。CP-1の実験結果から、1日あたり1キログラムのPuを生産するには、約50万〜150万キロワットのプラントが必要とされましたが、のちにこの計算結果は修正されて、10万キロワット級のプラントの建設となりました。実際にはハンフォード工場はPu生産部門(100地区)と分離部門(200地区)および核燃料製造・試験部門(300地区)からなっていました。Pu生産部門(100地区)はコロンビア川に沿って、100B、100D、100Fと三基のサイトからなり、各サイトには熱出力25万キロワットのPu生産用パイルが設置されていました。したがって三基の総出力は75万キロワットとなり、これに供給された冷却水量は総計毎分340キロリットル、消費電力は8万4850キロワットでした。冷却水量は当時の100万都市の飲料水量より多く、コロンビア川から直接引き込んで利用しました。各パイルは約10万本の黒鉛を積み上げた、底辺約11メートル四方、高さ8.5メートルの格子の中に2004本のアルミニウムの燃料管が水平に挿入されていました。これはほとんどクリントン方式を踏襲したものでした。パイルが完成したときには、各燃料管にアルミニウムで缶詰めされたウランが全体で約250トンから300トン装填されていました。パイル一基から発生する放射能の強さは、ラジウム1500トンにも匹敵する強烈なものだったので、各パイルは少なくとも10キロメートル以上離して設置されました。
 しかし当時、原子炉に関する技術は未成熟であったため、思いがけないことが起こりました。44年9月26日、燃料管2004本のうち903本に燃料を装填して、9万キロワットまで出力を上昇させたところ、その直後に中性子の減少が始まり、18時間後には反応そのものが起こらなくなってしまいました。その6時間後に再び中性子が増え始め、出力が9万キロワットまで回復しました。
 この現象は核分裂生成物であるキセノン-135(Xe-135)の中性子吸収が主な原因であることが判明しました。この現象は今では、原子炉の運転員には周知されています。この克服のためには、原子炉の容量を十分余裕を持って大きくしておく必要があります。

■シーボルグらが開発したPuの分離抽出法
 シーボルグはPuが比較的酸化あるいは還元されやすいことに注目し、Puの原子価を変えることによって、ウランや核分裂生成物から容易に分離・精製する方法を発見しました。その方法は、燃料を硝酸で溶解し、還元剤を加えてPuの原子価を四価にします。これにリン酸ビスマスを沈殿剤として加えて、Puを吸着・沈殿させます。この沈殿を硝酸に溶かし、酸化剤でPuを六価にして、再びリン酸ビスマスの沈殿を作りPuを溶液に残します。同様な操作を数回繰り返して、Puを分離・精製します。次に沈殿剤をフッ化ランタンに変え、やはり同様な操作を行い、最後に過酸化水素で還元してPuを酸化物として取り出すのです。
 この方法によるPuの回収率は95%以上であったと伝えられています。この方法ではウランは核分裂生成物といっしょに高放射性廃液として貯蔵されました。したがって、この廃液中にはPuが5%ぐらい残っていることになります。
 リン酸ビスマス法はPuの回収法であって、ウランの回収法でないという事実は、再処理工場の目的が何よりもPuの生産にあるということを歴史が示していると言えるでしょう。


 (なかじま・とくのすけ=常任世話人・核化学者)