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 ●シリーズ・被爆の実相
 
シリーズ「広島・長崎被爆の実相」
 第11回 アインシュタインの手紙
中嶋篤之助

 アメリカ合衆国ルーズベルト大統領に当てた、史上有名なこの手紙の日付は、1939年8月2日となっている。この手紙をアインシュタインに書くように慫慂したのは、ハンガリー生まれの科学者、レオ・シラード(Leo Szilard)であった。彼は1922年にベルリン大学で物理学の学位を取得し、1933年、ヒトラーの圧政から逃れてイギリスに亡命したが、この頃早くも中性子による核の連鎖反応の可能性に着想したと言われる。  彼はイギリス海軍に働きかけたりしたが成功せず、38年、アメリカに渡り、ホテル住まいをしながらも、オットー・ハーンらによるウランの核分裂の発見を知ると、コロンビア大学のW・H・ジンと共同して、ウランの核分裂で複数の中性子が放出されるかどうかを確かめる実験を行い、平均しておよそ二個の中性子が放出されることを確かめた。
 同様の実験は、フランスのジョリオ・キュリーのグループによっても行われ、核連鎖反応を利用して大規模な核エネルギーを解放できる可能性が、誰の目にも明らかとなってきたのである。これらのことは、以下に掲げるアインシュタインの手紙のなかでも指摘されている。
 「閣下E・フェルミとL・シラードが最近行った研究が原稿のまま私の所へ送られてきましたが、これは私に、近い将来ウラン元素が新しく、かつ重要なエネルギー源になるかもしれないとの期待を抱かせるものです。新しく生じたこの事態のある側面は、注意深くその推移を見守るべきもので、また必要となれば政府側が敏速な行動を起こすべきものと思えます。それゆえ、閣下に以下に述べる事実および勧告に関心を持っていただくことが私の務めだと信じます。
 ここ4ヵ月の経過の中で、アメリカにおけるフェルミとシラードの研究およびフランスでのジョリオの研究を通じて、大量のウラン中での核連鎖反応──これによって、莫大な力と大量の、ラジウムに似た元素が生まれるでしょう──を引き起こす可能性が有望になってきました。これは今ではほぼ間違いなく近い将来成し遂げられると思われるものになっています。
 この新しい現象はまた爆弾の製造にも通じるでしょう。しかも、非常に強力な新型爆弾が作られることも考えられます──これはあまり確実ではありませんが、この爆弾を船で運び港で爆発させれば、一つで周囲の地域もろとも港をそっくり破壊し尽くしてしまうかもしれません。ただ、飛行機で輸送するには重すぎることがはっきりするかもしれません(注)。
 合衆国ではウランは最貧鉱がいくらか産出するだけです。カナダや以前のチェコスロバキアには良い鉱石がいくらかありますが、最も重要なウラン産地はベルギー領コンゴです。
 このような事態を考えると、政府と、アメリカで連鎖反応に関する研究に携わる物理学者たちとの間で何らかの恒常的な接触を持つのが望ましいとお考えになるでしょう。これを実現する一つの可能な方法として、閣下が信頼をおけて、なおかつおそらく非公式な立場で働ける人物にこの仕事を任せるやり方が考えられます。仕事の内容は次に掲げるようなものです。
 (a)政府官庁に働きかけて、これから先の技術開発について常に情報を伝え、政府の施策に対する勧告を行い、合衆国へのウラン鉱石供給を確保する問題に特別な注意を払う。
 (b)必要なら資金を提供して、現在、大学の研究室の予算の限度内で行われている実験研究のスピード化を図る。その資金は、この事業に対して快く寄付をしてくれる個人との接触を通して、また、おそらく必要な設備を所有している企業研究所の協力を得ることによりまかなう。
 私が聞き及ぶところでは、ドイツは接収したチェコスロバキアの鉱山から採掘されるウランの販売を現実に停止しています。ドイツが早々とこのような行動をとるのは、おそらくドイツ国務次官、フォン・ワイツェッカーの子息が、ベルリンにあるカイザー・ウィルヘルム研究所に所属していることにより了解できます。そこではアメリカにおける研究のいくつかが現在追試されています。

(注)1939年にこの問題を考究したシラードやその他の物理学者たちは皆、爆弾を低速中性子反応、すなわち一種の巨大な原子炉──これは実際はあまり爆発性はない──として考えた。ウラン235あるいはプルトニウムを用いた高速中性子爆弾は当時はまだ想像されていなかった。(伏見康治ほか訳『シラードの証言』みすず書房より)」。
 この手紙についての論評は、本会発行の『核抑止か核廃絶か』(1988年)所収の「核兵器の発達と核抑止論」という章で筆者が述べているので、ここでは繰り返さない。
 この手紙は、A・ザックスに預けられ、10月になってルーズベルト大統領に渡された。同大統領は10月19日付の手紙で「国立標準局長と陸海軍の代表からなる会議」の招集をアインシュタインに知らせてきた。これがウラン諮問委員会である。10月21日、当時米国の国立標準局長であったL・J・ブリグスを委員長に第一回委員会が開かれ、陸軍兵器課のK・F・アダムソン大佐、海軍兵器局のG・C・フーヴァ中佐の正式委員のほか、ザックス、シラード、E・テラーらが出席した。この結果が11月1日にルーズベルトに報告された。「アインシュタインの手紙」はウラン諮問委員会という非公式ではあれ、大統領に通じる機関の設置をもたらし、アメリカの核開発のきっかけを作ったことは間違いない。
 しかし、この手紙に示された内容は、アメリカが国家をあげて原爆開発に突入するほどの水準ではなかった。[山崎正勝・日野川静枝:『原爆はこうして開発された』より]

 (なかじま・とくのすけ=常任世話人・核化学者)